第13回 青山俳句工場向上句会選句結果  コメント5/11up

(長文注意!)

今回の選句リストにまちがいがありました。途中で訂正しましたが、3点句<蝶の貌拡大鏡で見てしまふ>の「拡」が抜けていました。たいへん失礼しました。謹んでお詫び申し上げます。
今回は前回よりも向上の兆しが見えるとの感想をいただき、とりまとめ人としてはとりあえずほっとしました(個人的には最悪だったのですが--;)。
ところで、今回は選句をしてくださらない方がいつもより多くいらっしゃいました。投句する暇のある方は、選句する暇をぜひ作って、お互いの向上に努めるようにしてください。選句作業も勉強になりますし、また初心の方のご意見もとても貴重なものです。
よろしくお願いします。

向上句会とりまとめ:山口あずさ


投句:宮崎斗士、千野 帽子、中村安伸、白井健介、カズ高橋、岡村知昭、後藤一之、足立隆、あひる、しんく、にゃんまげ、ぽんち、またたぶ、肝酔、彩葉、桜吹雪、山本一郎、紫苑恵、秋、小原麻貴、松山けん太、城名景琳、天乃晋次、田島健一、吐無、北山建穂、満月、蘭丸、立川圓水、林かんこ、和田満水、紫藤泰之、山口あずさ

選句協力:AIR



全体的な感想

景琳:春のフェロモンが全体的にでてて新鮮。普通の俳句に飽きた私に、ビッボリンと来ました。

けん太:今回は情に触れる句がたくさんありました。可愛い、情念的、理屈・・。いろんな角度で選んでみました。

圓水:今月も低調で、選句に苦労しました。年度末はみなさん忙しいからでしょうか。来月は俳味のしっかりした句を期待します。

満月:今回は生きのいいもの、元気なものがけっこう見られてほっとした。この調子でインパクトある異界を取り戻して欲しい。ちなみに私は俳句における「詩」とは、現代詩におけるそれとはかなり異質なものを考えている。現代詩が我(が)で押して強引に独自の言葉の世界を作るのに対し、俳句は我(が)をはなれることで小さな器から飛び出してみんなのものになれる「芸」のかたちの詩である。それは同じく現実からの飛躍という言葉の世界を持っているためにそう呼ぶのだが、受ける感じは天と地ほど違う。思ってみれば、私は小さい頃から短い詩のほうにずっと惹かれていた。

またたぶ:「生きながら俳句に葬られ」にもあるごとく「評は易く作は難し」。前回も句より選の方がいきがよかった。ただ、裾野を叩いてもなーと思う。頂上さえ高ければ、裾野は広い方がいいのだ。問題は頂上の欠如でしょうね、青山なのに。

帽子:さて先月の選句結果について疑問点がいくつか(古い話でごめんなさい)。たとえば3/25選句〆切なのに選句結果は4/6up。これはだれか投句者が「〆切を守らない」という昔の文士ふうの美風に倣ったものか? 向上句会投句者も偉くなったものですね。わたしごときぺーぺーの駆け出し贋俳人にはとてもできる技ではないので、そういう偉い俳人の人と句会やれてとっても光栄ですとでも思うことにしないと馬鹿馬鹿しくてやってられない。今回はその他の諸問題への疑義も選評にちょっとずつ含ませてしまいました。大人げなくて申しわけありません。てゆうか謝る前に自分のスランプをなんとかしろよ、オレ。

健介:採らせていただいた句に関してはどの句もとても佳い作品で、どれを特選にしようか本当に迷ってしまった。“復活”の兆しにほんの少し安心(?)。


11点句

くちばしの生えそうな日や花粉症   立川圓水

特選:斗士 特選:桜吹雪 特選:景琳 特選:一郎 肝酔 あひる 泰之

あひる:おもしろい。気持ちが分かります。
景琳:花粉症の具合がくちばしで了解。
桜吹雪:花粉症ではないが、アレルギー性鼻炎を持病にしている。ホコリの多い部屋にいくと、一発で鼻がムズムズそればかりか口といわず、目といわず粘膜という粘膜が痒くなってくる。そんな状況は「くちばしが生える」という表現にぴったり。ただ、不満は「そうな」という助詞をつかわず、ストレートに「くちばしが生える」と花粉症でつないで欲しかった。
一郎:花粉症の人の顔面のむずむず状態を表している句としたらつまらないのだが、それから離れると「くちばしの生えそうな日」という表現が、何とも言えぬいかがわしさを感じさせて、おもしろい。これは花粉症の句ではないと思いたい。
満月:web上で見た。同じ媒体で、しかもほんの近くで見たものは句会に出さないで欲しい。全く種類の違う句会やメンバーの重ならない場所へならどんどん出して反応をもらうのがいいと思うけど。この句、花粉症の時のある種独特の異質な体感を<くちばしの生えそうな>と表現していて秀逸。しかし前記の理由で採らない。
泰之:私も3ヶ月に1度の周期で、くちばしが生えてくるのだが、確かにあの感覚は花粉症のむずがゆさと相通ずるものがある。
あずさ:へっへっへっっくしょーーーん。確かにくちばしが生えそう。これは可笑しい。
またたぶ:「花粉症」を他のものと替えれば生きてくるでしょう。
帽子:「花粉症」(最近季語として見なされつつあるようです)を説明してるだけ。へたするとマスクを「くちばし」に見立てているだけ、と取られてしまう。まさかそんなベタな、とは思うが、先月からすっかり用心深くなってしまった自分。
肝酔:私は花粉症ではないので、花粉に悩まされる人の気持ちは分かりません。だからくちばしの生えそう、というのも本当にそんな感じかどうなのか分からないのですが、「ああ、そんなものなのかなあ」と感心したので選ばせていただきました。
斗士:肉体感覚の妙。花粉症独特のつらさ、不愉快な感じが、無理なく伝わってくる。

しゃぼん玉しゅわっと吹いて産む産まぬ   またたぶ

特選:満月 特選:一之 特選:あひる 桜吹雪 肝酔 あずさ 圓水 帽子 

あひる:現代的な景ですね。「しゅわっと」という音がやや強すぎて、せっかくの「産む産まぬ」が隠れてしまっているようにも感じました。
桜吹雪:情景は描ける。ストレートに素直な句。妙に屈折した表現より、タマにはこんな句も読みたくなる。
圓水:春らしい世相を反映した句でしょう。
あずさ:ついに、一大決心。
帽子:「しゃぼん玉」と「産む産まぬ」的なものって自分もやったけど(「しゃぼん玉増やして一夫一婦制」←ヘタ)、参ったなー、比べものにならないくらいこの人のほうがうまい。ただオノマトペ嫌いとしては「しゅわっと」がいいかどうか。ウルトラマンを想起させるのでそこを面白がることにしよう。
肝酔:軽い上五と中七を裏切るかのような、ただならぬ下五、その意外な取り合わせが面白い。でも、なさそうで、割とあることなのかもしれない。
健介:内容はとても佳いと思う。ただ「しゅわっと」があまり効果的でなかったような感じがするのですが……
またたぶ: 遅まきながら私もひとつ「産む」俳句をものしてみました。厳正なる ご評価を>満月さん
満月:かまととと言われようが少女趣味フォークソングと言われようが、これは私が書きたい句だ。<産む産まぬ>は実に大きい大変な決定。それが最終的には孕むことの出来る性、産むことの出来る性である女性に託される。重い決定を<しゃぼん玉しゅわっと>で軽やかにあらわしたことに救われるものがある。このしゃぼん玉は決してそっと吹き出されたのではない。ある命を斬る覚悟をもって激しくも一心に吹き出されたのだ。少女趣味になる一歩のところですかっと切れている。

8点句

鼻先に花びらつけて猫眠る   林かんこ

圓水 蘭丸 健介 景琳 一之 にゃんまげ けん太 あひる 

あひる:かわいいですね
景琳:猫の鼻に花の姿、みたことある。
けん太:ま、かわいい。
圓水:厳密に言えば無季の句でしょうが、「花びら」を「さくらの花びら」と解釈しました。いかにも春らしい風景。
満月:そうですか。写真撮りたいんでしょう?で、どっちかというと写真の方をUPしたかったのね。
蘭丸:猫が大好きなもので。「鼻先に花びら」というあざとさを、モウ、カワイコぶっちゃって・・・・・・、とつい受け入れてしまう、あまいぼく。
あずさ:かわいい。が、それだけのような気も。。。
またたぶ: この句を選ぶ人には「猫が好きだから」「かわいい」という以外のアピールを是非とも聞かせていただきたい。
帽子:こういう「猫」の使いかたって「みてみてかわいいでしょそれにそれをかわいいと思ってるわたしもかわいいでしょ」と言われてる気がして、そばに寄るな、と思う。だれも寄ってないか。
にゃんまげ:さかりもついていない幼い猫
健介:滅多に見ない光景だと思うけど、ありそうもないという訳でもなく、そのへんの微妙さ加減がこの句の味わい。とてもかわいい猫の姿が思い浮かぶ。

7点句

如月の帯のながさを帰る犬   天乃晋次

特選:安伸 蘭丸 帽子 秋 あずさ 隆 

安伸:イメージの流れが見事に決まっている。
満月:帯だから長さはあっても幅は狭い。その狭い幅をどこまでもどこまでも帰路をたどる犬。厳しい寒さ、寄り道も道草もできず、どこまでも帰り着かないかに思える道を尻尾うなだれてひたすら帰る。ああ、不況の出口はどこだ。犬と帯で腹帯を連想してしまうのが難。
秋:如月の帯のながさをどう捉えたらいいか悩みましたが、如月の季節感をゆったり散歩して帰ると捉えました。措辞の美しさ惹かれました。
蘭丸:帯のながさのつきた所には何がある? きっと思いがけない落とし穴が・・・・・・。
あずさ:「帯のながさを帰る」不思議だ。
またたぶ:「犬」があまり利いていないように思うのは私だけ?
帽子:先月「三月をよこ切る充電式の犬」などという駄句で2位を取ってしまった罪滅ぼしに、この句に1点を投じます。ぜったいこっちのほうがいいってば。
隆:犬の帰る姿の淋しさが伝わって来ます。如月の帯の長さはどの位か分からぬが、それ程の距離ではなかろう。犬は迷うことなく帰ることであろう。

6点句

春おぼろ白面冠者の猫とおる   桜吹雪

特選:圓水 特選:満水 肝酔 一之 

圓水:白面冠者が面白い。しなやかな猫の歩みは、白足袋を履いた狂言師の歩き方に通じるものがありますね。
満水:猫は普通でも表情を表さないときが多いですが、春おぼろとなればなおさら無表情かもしれません。そんな気がする句です。
満月:この猫はどこか幽体じみている。仙人のような、妖怪のような。おぼろの中では何でもありそう。<白面冠者>とはいまどきめずらしい表現だが、春おぼろと相俟って効果を上げている。
あずさ:やはりかわいいだけのような気が。。。
帽子:「の」は主格か。長野まゆみ的少年像。手応えもう一歩。
肝酔:白猫ってなんかボワーっつとしてて、輪郭がはっきりしない。特に顔が白いと確かに春おぼろ、である。


5点句

人形の正座が厭だ夕櫻   千野 帽子

満水 斗士 一郎 しんく けん太 

けん太:人形の「正座」が楽しい。よこへ夕桜。もう、この美意識はたまらない。
一郎:人形の反抗期、初めての自己主張。人形が「正座が厭だ」と言っているんですよね。まさか、「人形が正座していることが気に入らない」という句ではないですよね。
満水:夕桜があるところでは少しは乱れなくては情緒が出ません。足で人形をひっくり返した作者が目に浮かびます。
満月:古ぼけた人形が正座している。市松人形か西洋人形か。人形の持つ時間が陽炎のように滲みはじめた瞬間、<厭だ>という突然のセリフで断ち切った登場人物は、しかしもっと滲んだ<夕櫻>へと身を投げる。<人形><正座><夕櫻>と、いかにもまがいもの的3点セットを並べて駄々をこねる登場人物もまた、毀れかけたアンドロイドのようだ。
しんく:うちのGIジョーがロッキンチェアに腰かけているように、この作者も人形にリラックスした姿勢をとってほしいのか?季語は動きそうだが夕櫻ってのも悪くない。 
斗士:上五中七が複雑微妙な心象を醸し出す。斬新。
あずさ:もっと自由に♪


4点句

櫻満開とは加速する歯車   中村安伸

特選:蘭丸 桜吹雪 またたぶ 

桜吹雪:加速する歯車と桜満開との結びつきが、ようわからん。満開になって散り急ぐしかない焦燥感と花びらの形状をかけた。と、とったけど如何に。
満月:<〜とは〜>はなんとかならないか。最近多いのでさすがに鼻についてきた。しかもこの<とは>は前後の内容に大差がないので説明以外のどんな役目も果たしていない。
蘭丸:満開の桜は一瞬の出来事。その緊張感はたしかに加速する歯車。満開の桜=死体のパターンの文学はもうあきたので、新鮮でした。
あずさ:ヒヨドリが狂ったように啼いていましたね。
またたぶ:いまいち句情に共感しきれないけど、一つの試みとして評価したい。
帽子:「加速」はちょっとストレートすぎ? 直喩的断言にしてはけっこういいと思いますが。

花の雲ダイエーあたりが最も咲く   田島健一

特選:泰之 帽子 またたぶ 

満月:おおいダイエー、今年はちょっとは頑張ってくれえ。ハムにも食われてるし、強いのにお客さんだった西武は今年は松阪はいっちゃったしい。。え?スーパーの方?うーむむ、霞んでるってこと?最も咲くは最も散るってことだよねえ。。ああ、コメントにならない。ごめんなさい。
泰之:ダイエー本社広報部に確認したところ、「そういった調査は、特に本社として指示していません」という答えが返ってきました。
あずさ:ダイエーの回し者か?
またたぶ:とぼけ加減がマル。
帽子:このダイエーは球団ではないと思うが、球団であっても面白いかな。春らしい。「最も咲く」が好きだ。

顔のない人に恋する春の夢   彩葉

特選:吐無 景琳 しんく 

景琳:I NETの恋かな。
吐無:ネット・ラブとかバーチャル・ラブとかいう最近のはやりものをうまく捉えた。僕の知人はバーチャル・セックスを愉しんでいる。やがてバーチャルの子が生まれ、顔のない子がいっぱいできる。人口が増えないので、年金が心配。
満月:だれでもきっと体験するにちがいない夢。もうすこし五感にそのときの気持ちや感触が蘇るような書き方をしてくれたらよかった。
しんく:映画の「ハル」や「ユ・ガッタ・メール」のような恋?会う前に婚姻届けを出した人もいるとか。 
あずさ:「顔のない」という言い方は不気味。ちょっと恋という気になれない。
帽子:「顔のない」と「恋」、「顔のない」と「夢」、「恋」と「夢」。ぜんぶ近すぎる。いますぐ顔を洗って筒井康隆の『邪眼鳥』を読み、この句は『めざましTV』ユーミンに出してしまおう。

佐保姫は黄色い電車でやってくる   吐無

特選:しんく 一郎 安伸 

安伸:電車で来るというアイデアが良い。黄色はややぴったりし過ぎか。
一郎:佐保姫を知らないので、一般的な解釈で、読みました。黄色い電車でやってくると言うところに、楽しさと、おかしさが混じり合っていて、こちらまで楽しくなりました。
満月:あのう、、、佐保姫の「しと」のことですか、この<黄色い電車>って。
しんく:明るい春のイメージがよく出てます。  
あずさ:佐保姫を広辞苑してみたら、春をつかさどる女神とあった。春一番先に咲く花は黄色。今一つイメージが広がらない。
帽子:「佐保姫」は春の女神で、霞を作ると言われ、春の擬人化(歳時記によっては季語として登録している)。「黄色い」が菜の花を想起させてちょっとわかりやすすぎ(そのつもりで作ったんじゃないんでしょうけど)。なお「佐保姫」は地黄(じおう)という植物の異称でもあるらしいが、それと「黄色い」は関係あるのだろうか。ちなみに地黄の花は淡紅紫で初夏に咲くとのことですが(すぐ忘れる付け焼刃の豆知識でした)。

怖れつつ少年は眼をママに渡す   蘭丸

特選:晋次 特選:あずさ 

満月:なんとも母子相姦的だ。それにしても青俳には「ママ」がよく出てくる。エディプスコンプレックスを観察しての表現なのか。自分の内にあるそれを今こそ描こうというのか。舞台とそのキャラクター設定なのか。この場合は最後が当てはまりそうだが、それにしても自分の眼で見ない、見たことを自分で判断しないというこの内容には、エディプスコンプレックスのみならずいろいろなことが当てはまりそうで怖い。「ママ」は単なる母親(的なる者)ではない。
晋次:この眼は少年の純真な眼であろう、世界を認知するには苛酷すぎるか、見える世界の嘘事に早くも気付いたのか。怖れつつの措辞がいいですね。
あずさ:独眼流正宗のワンシーンを思い出した。それはさておき、、、この母子関係は怖くもあり、耽美でもあり。かなり凄い。
帽子:金子國義・鳩山郁子的な少年像。「少年」という語を使わずにやってくれたらよかったのに、と贅沢な注文を出してしまう。
健介:たいへんに巧い表現。内容には納得。本当によく分かります。


3点句

盲牌のごとく鍵選る余寒かな   白井健介

斗士 桜吹雪 しんく 

桜吹雪:盲牌の楽しみは三色ができるか、カンチャンがはいるか、指の腹でさぐる楽しみ。ポケットの鍵をよってる人物には10人ぐらい愛人がいて、その合い鍵を山ほど持っているのだろうか。「ごとく」俳句は野見山朱鳥や、松本たかしがよく作っていたけど、この表現では使う必要性がないのでは。
満月:直喩のあまりのつきすぎがひたすらがっかりさせる。
しんく:自分でもよくあることなので、同感句として一票。 
あずさ:ギャンブラー。
帽子:好みではないが、作者の言語にたいする抑制が好もしく感じられる実直な「写生」句。
斗士:さりげない仕草で「余寒」をみごと表白した。

鹿は碍子に人の噂の吹き抜ける   山本一郎

特選:帽子 晋次 

満月:碍子って電信柱の上に付いている?鹿が碍子に変わった????イメージができない。
晋次:鹿は碍子に、このフレーズがきまっているから、下句の日常語が気にならない。
あずさ:硝子の鹿を人の噂が吹き抜けているのか。人の噂とはどのように無意味なものであるかが現れている。
帽子:ものを知らぬわたしは、碍子って語を辞書引いて好きになってしまいました。辞書は便利だなあ。「ジェンダー」だって載ってるし、ちょっと大きいのなら「システィーナ」だってきっと載ってるし。句会場で句会やってるわけじゃないんだから、知らない言葉があったらいつでも辞書ってひけるもんなあ。だいたい、もうこれ以上言葉は新しく知らなくていい、知ってる語でできてる俳句だけわかってればいい、知らない語がはいってる俳句はもうそれだけでわからないと切り捨ててもOK、などと思えるような境地に達したら、わたしだったら俳句なんか読むのも書くのもやめるけどね。わたしが才能もないのに未練がましく俳句やってんのは、知らない言葉と出会いたいからなんだけど。さて、この作者も「碍子」の語を気に入っているに違いないと勝手に決める。「鹿」の使いかたや中七下五には疑義もあるけれど(鹿ではちょっと弱い気が…)、「××は碍子に」(おそらくはここで「切れ」だ)という持って行きかたに好感。

放蕩の挙げ句の果ての桜餅   肝酔

特選:けん太 一之 

けん太:放蕩と桜餅、なんとなくミスマッチが似合っている。こんな関係好きです。
満月:中年になったのね。
あずさ:泣きながら食べているのか桜餅。
またたぶ:類想多し。別の言い方をすれば「そこそこいい句」。
帽子:「放蕩の挙げ句」か「放蕩の果て」でじゅうぶん。よって中七は緩い。でも、落ちのような桜餅にはやや愛嬌がある。

蝶の貌拡大鏡で見てしまふ   後藤一之

健介 安伸 あずさ 

安伸:内容もおもしろいが、貌の表記や大鏡という言葉などの古典的な大仰さが良い。
満月:拡大鏡の拡を忘れた?大きな鏡に小さな蝶の貌か、小さな拡大鏡に大きな蝶の貌か。しかし見てしまったからどうだというのだ。どうせなら蝶の含み笑いとか蝶のあっかんべとかにしてくれればよかった。「〜してしまう」は使われ過ぎていて、よほどの場合でないと「らしさ」だけ
あずさ:「しまふ」の「ふ」がなんとも言えぬ味わい。
帽子:これとそっくりの句が、よく俳句の入門書で「初心者が作りそうな悪い句」の例として出ている。たしかにありがちだけど、そこまで悪い句とは思わないが。
健介:特選候補。「見てしまふ」とまでに言いとどめたところが心憎い。

琵琶湖とは胃の腑のかたち春の水   桜吹雪

圓水 吐無 けん太 

吐無:だからどうだ、といわれると困るが、腑に落ちないときは琵琶湖にいって確かめてみよう。
けん太:理屈っぽいのだけど、最後の春の水が救った。琵琶湖ってそうなんだよね。
圓水:面白い見立てです。春の水が清々しい。
満月:胃に琵琶湖の水が流れ込む感触を味わった。しかしなんとも紋切り型の表現である。「伝統俳句」といってもこう硬直した形にしなくてもいいと思うのだが。<とは>はもう手垢まみれだ。一昔前の書き方という気がする。
あずさ:おもしろくない発見。もっとすごいものを見付けて欲しい。
またたぶ:瀬田川は小腸、淀川は大腸です。
帽子:気の利いた発見+季語。お達者。しかし琵琶湖で「春の水」はストレート過ぎないか。かえって実感ない。だいいちこんなことが言えるということは琵琶湖自体ではなく地図の琵琶湖を見ているか想起している(湖のそばに地図看板があってそれを見ているにせよ)かあるいは空を飛んでいるわけで、その状態でわざわざ「春の水」と言われても…。そのからくりに目をつぶるのが伝統俳句の本道ってやつですかい? だとしたらそんな二重底イデオロギーはごめんだし、そんな立場で実景だの写生だの説かれても…ってべつに説いてないですね。

飾り窓の薔薇@(アットマーク)アイデンティティ   和田満水

特選:秋 しんく 

満月:<アイデンティティー>はなんとかならなかったか。
秋:句の新しさ、新鮮さでいただきました。私自身は外からも見える飾り窓の薔薇は、何ともキザで好きではありませんが、この作者もそんな気持ち持っているのではないかなと思いましたが。。
しんく:みうらじゅん著「アイデン&ティティ」では窓からボブ・ディランが入ってきてハーモニカを吹いていたのだが・・・ 
またたぶ: 「@(アットマーク)アイデンティティ」のようなものは、言語化せずに結果として感じ取れるようにありたいというのが私の感想です。
帽子:この飾り窓はヨーロッパの港に近い売春街かな。
あずさ:買春反対です。(←きっぱり。)


2点句

春ショール裂きてセツクスピストルズ   しんく

満月 肝酔 

満月:すごい。ショールを裂いて魔羅が飛び出したかと思った。元気だ。関係ないかもしれないが、魔羅とは魔のうすものと書く。変だ。
あずさ:裂くとセックスピストルズは付き過ぎ。わたしも、一句。<春愁やなんで腹出るジョン・ライドン>
帽子:「裂」くとパンクバンドが説明的な近さ。図式的な「暴力」を狙った俳句の安さ爆発だ。だいたいショール裂いたくらいで反抗たあどういう了見、と思ってしまうぼくはピストルズよりザ・クラッシュ派。
肝酔:春ショールという季語はなんか中途半端に古臭くてイラつく(なんて言ったら怒られるけど)。だから裂いてセックスピストルズという中七、下五で気分がすっとした。日本の中途半端な近代って本当にうっとおしいです。

床板に春光集め終業式   彩葉

秋 健介 

満月:NHK俳句通信講座ならA○。お行儀良くぴかぴかしてます。
秋:体育館に集まって行われる終業式、静かになった時の窓から差し込む春光が床にまぶしい、これから貰う通知票や、明日から始まる春休み、そんなことにも思いを馳せれるさわやかな句です。でも、最近の子供はなかなか静かにしないけれど。。。
あずさ:学校、廊下、廊下に落ちる光、ありきたりだと思います。
帽子:私立学校の式典に出る理事長様(市議選落選歴有)あたりが毎年この手のきれいごと俳句を作っているに違いない。こういう句があって悪いとは言わない(作るな、などとはだれにも言わせない)けれども、こういう句をもっとちやほやしてくれるWeb句会ならよそにいっぱいある。たとえば、http://(以下自主規制)など。
健介:<卒業式>の方がよいかと言うとそうではない。やはり「終業式」の気分に相応しい。「床“板”」という言葉は僅かに気になるものの、景が実に鮮明に浮かんでくる。

春会話真綿の中の銀の匙   秋

隆 一郎 

一郎:友達との語らいの中で、ふとこぼれ出た銀の匙。いい友達ですね。心さわやかにさせてくれる1句。
満月:<真綿の中の銀の匙>はいろいろ想像を呼ぶ素材。が<春会話>なる無理矢理季語はどうにもいただけない。
あずさ:中勘介?
帽子:「季節+なんかテキトーな語」で無理やり「季語風」やるときは慎重にね(「春会話」はないよね)。下五に「銀の匙」を置いた句を自分も昨春書きましたが、どうしても中勘助に寄りかかり過ぎになってしまうんですよね、これが。そういうスタンスもじつは好きなのですが。
隆:銀の匙は誰かの形見か、それとも旅先で求めた記念の品か、いずれにしろ大切にしているもの。春の夜の幸せな時間がある。

鍵盤に手のひらひらと蝶の昼   立川圓水

特選:にゃんまげ 

満月:つきすぎ。もともとの素材やイメージはいいが作りそこなった。
あずさ:掌、ひらひら、蝶もひらひら、つまらん。
帽子:「手のひらひら」と「蝶」がつきすぎ。それともただのアナロジーか? 「ひらひらと」の部分が(ひょっとすると「てのひら、ひらと」かもしれないが、それでも)個人的には苦手だが、好きな人は好きだろう。
にゃんまげ:白い指の軽やかな動き・・・

ここに又一軒建つか蓬摘む   足立隆

特選:健介 

満月:感興の量が少なすぎる。かつ芸もない。
あずさ:宅地化が進む郊外の風景? たんなる感想にしかなっていない。発想に「ねじれ」が欲しい。
帽子:セキスイハウス広報部に持ちこんだら? お茶くらいは出る。
健介:迷った末にこの句を特選にしました。こういう感慨には素直に共感できるので。

上様と書かせてをりぬ花三分   白井健介

秋 一之 

満月:一瞬、さっき見た大河ドラマが頭を過ぎった。現代の上様はなんともお手軽で責任が軽い。
秋:花見の幹事さんかな? 領収書を切ってもらって準備万端用意しているけれど、肝心の桜は3分咲き・・寂びが効いていていいなと思いました。
あずさ:書かせるとは偉そうな。という気がしないでもない。
帽子:上様といえば将軍ですが、そう言えば現代は、領収証さえ切ってもらえばだれでも上様になれる。民主主義も捨てたものではない。ってだれが捨てたんだ。さて「書かせて」の「せて」がちょっとSっぽい感じでイイっスねえ。店員が若い男だったりして。「宛名は上様でよろしいでしょうか?」「女王様とお書き!」だれかオレを止めてくれ!

半熟卵愛につけておく   紫苑恵

吐無 安伸 

安伸:「愛」の使い方が独特。
吐無:やがて半熟の子が生まれる。新入社員が入ってきたけど半熟の子が多くて…。。
満月:<愛>が抽象のまま投げ出されていてどうイメージしていいかわからない。<半熟卵>は使えそう。<半熟卵>ですごくいいの作ってしまいますよ(^^)、なんて。
あずさ:愛につけておく? 温泉卵状態になるのだろうか。いずれにせよ、中途半端な愛なんかいらないわ。
帽子:こんな愛は苦手。てゆうかこうゆう「愛」の使いかたは寒い。

船室のごとく春夜を抱かれる   満月

隆 またたぶ 

あずさ:「船室のごとく」「抱かれる」というのはどう繋がるのだろう。(私が)船室に抱かれるのではなく、(私は)船室のように抱かれると読めるのだが、となると船室は何に抱かれているとイメージすればいいのだろう。単なる言い間違い、否、書き間違い、とゆーか、表現間違いなのだろうか。。。
またたぶ:「〜〜のごとく抱かれる」はちっとも新しくない。「船室のごとく」に軍配が上がりました。
帽子:なんとなく、ある雰囲気は出ている。でも「春夜を抱かれる」(いだかれる、と読みました)の部分が、助動詞「れる」の多義性のせいで曖昧。「れる」が、文法で言う「自動詞受身文」の「間接受身」(例: 「飼い犬に死なれる」)だとするなら、だれかが「春夜」というものを抱いているのを自分が見ていることになる(なんとなく「春夜」を人に取られて迷惑しているさまが面白い)。敬語だとするなら、自分が、やんごとなきおかたが「春夜」というものを抱いているさまを報告していることになる(これはこれで、なんか平安絵巻な世界が繰り広げられていとをかし)。「他動詞受身文」の「直接受身」(例: 「飼い犬に噛みつかれる」)だとするなら、春の夜という時間帯に自分がだれかに抱かれていることになる(いちばん嫌いな、退屈な解釈だが、残念ながらこれがいちばん「自然」な解釈なのかもしれない。「このエロスが春夜らしくていい」なんて句評がずらずら〜っと並んだら悲しいな)。
隆:船室はあまり大きくなく、やはりゆれているのだろう。誰に抱かれようと春の海はのたりのたりである。あやしい雰囲気はあるが、よい気分のものである。
健介:「船室のごとく」「抱かれる」とはどんな風ってこと?

空濠(からぼり)に棄てた釦(ぼたん)は甘いだろう?   千野 帽子

満水 晋次 

満水:なぜボタンを捨てたのか、なぜ甘いと発想したのかを類推すると結論は失恋か
満月:作者本人が某句会とのうっかり二重投句なので無視してくれと言っている。が、最後の<う>はなかったぞ。うがついただけでなかった時よりずっと状況の外にいる感じがする。つまり甘ったるいべたつきが減る。そしてあとから出した某句会のほうに<う>がなかったことは、そういう効果を意図したと取っていいのだろうか。
晋次:?マークは全体の文脈にかかるものとしたら、読む側にこの句を問う姿勢がでているのかも。
あずさ:舐めても減らない?

速達にしよう私の中に石楠花   宮崎斗士

満月 一郎 

一郎:あっ、口語俳句だ。口語俳句から俳句の世界に入った自分にとってこの構文はうれしい。「速達にしよう」がいきいきとしている。弾んでいる。
帽子:どこかが惜しい。「速達にしよう」はうまい。そうか惜しいのは「私の中に」だ。
満月:こんなやさしい言葉で書かれたものが、今回は心にフィットした。スピード感と春らしい期待にふくらむ心地がする。<(私の)中に>だからよかった。このような子供にもすっと読める句を、ときどきどうしても欲しくなる。こういう構成は好きだ。

丸顔の三人官女のひとり来る   足立隆

満水 あずさ 

満水:何はともあれ、俺は丸顔が好きだ。良かった。
満月:来てどうしたというんです?
あずさ:お待ちしてました。
帽子:意味はわかるが意図は不明。

野の我をひきぬく姉の豪腕ぞ   天乃晋次

帽子 斗士 

満月:も、もしかしてあんたは○○?!うむむ、手弱女の姉をつかまえて・・し、しかし、、ちょっと思い当たったりする。。。この句、<ひきぬく>が<豪腕>に的確な動きを与えて印象をいや増した。姉の顔、弟の顔、それぞれにくっきり浮かぶ。そうか、<ぞ>はこういうときに使う
あずさ:どんな姉やねん。
またたぶ: 「姉とねて峠にふえるにがよもぎ」を超えてほしかった。
帽子:人称代名詞と親族名称が嫌いなぼくも、この句には参った。作者の豪腕に一点。
斗士:一風変わった牧歌性に惹かれる。「ひきぬく」に味わい。

桃咲いて肌つるつると泣きました   中村安伸

満月 桜吹雪 

桜吹雪:「肌つるつると」という表現が桃と取り合わせでまずまず。
満月:わっ好きだ〜。どうしよう〜。つるつるする。泣き出しそうだ。ああ、またやられた。くやしい。
あずさ:肌が「つるつる」っと泣いたの???
帽子:をんなの情念演歌的ルックルックこんにちは女ののど自慢の世界。団塊前後の女性には受けそう。

新社員お茶きらきらといれてくれし   あひる

斗士 景琳 逆選:一郎 

景琳:新人はキラキラです。
一郎:新社員がきらきらしているのはちょっと当たり前過ぎました。
満月:どうして「新入社員」ではいけなかったのか。語尾を<し>にしただけで俳句になると思ったような唐突な文語。お茶きらきらはいいのだが。
あずさ:新社員はきらきらしているしなぁ。当社の新入社員君(男性)は不器用そうだしなぁ。お茶はじぶんで入れた方がおいししいので、彼にはお茶碗洗いの方をお願いしよう。
帽子:形も語の選択もわりと好きだ。感謝の気持ちも伝わる。でもなんかこの主人公、セクハラしそうな感じ(失礼)。大人なんだから、新人には研修してもらって、茶は自分でいれましょう。
斗士:質朴で気持ちのいい作品。
健介:そのようにして戴けるのであるなら本当に嬉しいことだと私は思います。


1点句

桜舞う宙に引かれて溶けてみる   にゃんまげ

満水 

AIR<選>:すごく共感を覚える句ですね。桜の花吹雪の中に誘われました。
満水:桜吹雪を寝ころんで見ていたら、自分が上に行くような気がした。後1時間ぐらい見ていると作者の心境になるのかもしれない。
満月:つぶやき。
あずさ:桜はそもそも宙を舞っている、したがって付き過ぎ。「宙に引かれて溶ける」も抽象的過ぎて何を言っているのやら。。。
帽子:構文が悪い。入れ子構文はしばしば無様になる。中七はフォークはいっててやや寒。ナルシシズムするんならもっと徹底してもいいのではないか。

雛納この感情は何に似て   小原麻貴

あひる 

あひる:表現がやや生かなとも思いますが、気になった句です。
満月:そこを書くんじゃないでしょうか。<この感情は何に似て>るかなあ、と思い浮かべた内容とか。感じようとする意志からして感じられないので、何を感じ取ることもできません。読み手に感じさせてなんぼ、です。
あずさ:それを俳句にしてね。
帽子:達者だがちょっと思わせぶりでくどい。主人公が芦屋雁之助「娘よ」ふうの父親だったり、あるいは非婚女性だったりするのか。

ひとひらの月剥がしている春の泥棒   満月

蘭丸 

蘭丸:オシャレ泥棒。
あずさ:ひとひらの月だけでは今一つだがこれを「剥がし」たところが手柄か。
またたぶ:メルヘン全開。(それはいいが)私には既視感が拭えません。
帽子:中七下五の字余りが寒い(字余りはすべてダメと言っているのではない)。のんびり感は春らしいとも言えるが、「泥棒」が「月」を「剥がし」たんじゃ当たり前過ぎ。「ひとひら」も「ええ格好しい」な感じ。

あの橋の端にたたずむ春一つ   林かんこ

圓水 

圓水:ちょっと甘さがありますが、これも春の一風景でしょう。
満月:地口と<一つ>がだめにしている。が、そこを整理しても何もない。
あずさ:どんな春なのかなー。それが知りたい。
帽子:このばあい「たたずむ」という語はなくていい。これは俳句はじめてこの2年間ずーーっと疑問に思ってるのでまた訊くけど、俳句やってる人はどうして「××一つ」とか「××一人」が好きなの?

風と風紋白梅とあのひとの部屋   宮崎斗士

秋 

満月:長い詩の切れっ端みたい。<あのひと>が実在感がなく思いばかりでうっとうしい。<風と風紋>と白梅がついているので「風と風紋、白梅」と「あのひとの部屋」とが対比させられているようだ。何かを試みようとした努力は認める。
秋:原因と結果のように、白梅を飾っているというあの人の部屋は・・・と想像している、読み手も一緒に想像できて楽しい。
あずさ:王子様が住んでいるのね。
帽子:構文は好きだが後半が演歌なのはどうして?

小糠雨どうせなら窓ぎわの席   岡村知昭

隆 

満月:どうせならもっと飛躍したら?
あずさ:「どうせなら」がいまいち。
帽子:窓がちゃんと閉まってるといいですね。
隆:雨の景色をゆっくり眺めてみたい。たとえ窓際族と云われようとも。静かな時間をひとりですごしてみたいと思うことは誰でもあります。
健介:その気持ち本当によく分かります。俳句としては「小糠雨」を季語になる“雨”にすれば宜いのでは?と思う。でもやっぱり全て言い尽くしちゃってますけどねぇ。

四月馬鹿市民球場のごみ箱空   田島健一

景琳 

景琳:ゴミ箱のかっらぽと四月馬鹿がマッチ。
満月:<ごみ箱空>が<四月馬鹿>らしくて笑ってしまう。市民球場というのものんびりしていていいんだけど、バカ、カラがア母音二字の語呂合わせに感じるのとアア、アアとしまりなく口を開いたままになるのがどうにも句として間抜けな感じがする。<の>の字余りが無用なのでそこの問題なのかも。
あずさ:どう「四月馬鹿」なのか???「ごみ箱空」でいったい何を表現したいのか? 最近はゴミはお持ち帰り下さいという世の中だしねぇ。
帽子:ただの報告ですね。「四月/馬鹿市民球場」だったらよかったのに。
健介:内容は好きなんだけど、読み手の印象としては焦点をどこに絞らせようとしているのかがはっきり伝わってこない感じです。

春陽差すブーツは立っていられない   肝酔

安伸 

安伸:脱いだブーツ(長いやつ)の状態を「立っていられない」と言ったのはうまい。
満月:春陽差さなくてもブーツは立っていられないのでは?くにゃくにゃ溶けるとか眠り込んでしまうくらいにはしてほしかった。
あずさ:どういう意味? 足が蒸れてるの? なんか臭い。
帽子:そりゃストラップが上まであるやつとかファスナーのやつはそうかもしれないけど。

車椅子の紐取ってよ涅槃遁走劇   秋

晋次 

満月:車椅子の紐というのがわかりませんでした。ごめんなさい。
晋次:物語を圧縮した句ですか、涅槃遁走劇がイメージ過剰でありますか。
あずさ:車椅子の紐がよくわからない。何か特別な意味があるのでしょうか? いずれにせよ、涅槃から逃げてどうなるのだろー。
帽子:ここまで字余りというか破調というか崩さなくてもいいような。「涅槃遁走劇」がすごくいいと思うので「よ」が惜しい、よ。

便器の底であとずさりした顔   カズ高橋

蘭丸 

満月:便を見て一日の健康を確かめるという健康法。ところがこの人はその便にうらぎられたのだ。ああ、私の今日の健康。レバーを回せば流れて行く今日の顔。。。?なんだか臭って来そうで困った。
蘭丸:蝶の貌大鏡で見てしまふ、と両方とりたいところでしたが、ショックの大きさでこちらの句を選びました。人間の一瞬の心理をイメージ化した句で、なぜか安部公房を連想しました。
あずさ:どうしてそんなところにいるの?
帽子:どんな顔? 納得させたければリズムを整えてほしい(破調や自由律を否定しているのではありません。誤解なきよう)。

生きる事落第続き花吹雪   ぽんち

けん太 

けん太:落第続きなどと深刻ぶっておいて、花吹雪で、きっちり情へもっていく。これもうまい。
満月:<生きる事>などと書いてしまったことで句になりようがなくなった。すべてが生きることの中で起こるのだ。
あずさ:みたいなことを俳句にするとどうなるのかなぁ。と、つい思ってしまいました。
帽子:上五のもっていきかたが相田みつを。相田みつをが受ける世の中が信じられない。

春愁の真っ只中やかりんとう   北山建穂

あひる 

あひる:かりんとうをぼりぼり食べている感じがおもしろい。
満月:<や>はなんで?
あずさ:母は最近夕食後にかりんとうを食べる。「いる?」と聞かれ「悪魔のささやきだよっ」と言いつつ、わたしもかりんとうを食べる。やばいよねぇ。春愁どころじゃないっ。
帽子:「真っ只中」と来ましたか。そこまで書いてしまうと「かりんとう」くらいでは相対化されないのでは。

山笑う破産管財人幸二   岡村知昭

またたぶ 

またたぶ:いなせだ。
満月:幸二さんて誰?
帽子:むかし「洗濯屋ケンちゃん」とかいうヴィデオがあったけど。

山師来て遠眼鏡で見る奈良盆地   山本一郎

満月 逆選:桜吹雪 

桜吹雪:物語性をねらったのかもしれないけど、表現があまりに叙述的。俳句なのだから、飛躍と連続の妙味がほしい。
満月:いいなあ、この山師は。奈良盆地ごと買い取ろうとしている。<遠眼鏡>が空間だけでなく時間をも遠くまで見ている。これは山師の姿をした土地の守護神なのだ、きっと。。
あずさ:竹中直人主演?
帽子:上五は好み、中七の字余りが野暮。

新宿に托鉢の僧 バイク唸る   蘭丸

隆 逆選:景琳 

景琳:新宿の何処だろ、東京?ですよね。
満月:よくある光景をそのまま書いただけ。後半はひらりと飛んでほしい。
あずさ:単なる情景描写?一文字空け?
帽子:そりゃ新宿や渋谷は托鉢だらけですよ。地方在住者(ぼくもそうだけど)の絵葉書的観光俳句? 「托鉢」といえばふつう「僧」なんだから「の僧」は無用。一字アキも無用。
隆:現代の風景をうまくとらえている。バイクに乗った僧が見えて来ます。

なあ目刺おまえは何を目指してた   吐無

健介 逆選:隆 逆選:しんく 

満月:って聞かれても。。目刺しじゃないし。。めざしの地口がこの句をいっそうおもしろくなくしているのに気付いてますか。
しんく:デーヴ・スペクター賞をさしあげましょう。
あずさ:駄洒落。
またたぶ:初見では「またこんな句…」とため息で通りすぎたが、読むうちに奇妙に説得されてきた。でも、やはり語呂合わせが値打ちを下げてるような。
帽子:「目刺」と「目指し」とのダジャレながら、読んで気持ちいい。目刺への愛の眼差し(あっダジャレだ)を感じる。愛と言っても、結局は喰うんだけど。「なあ帽子おんなを欺せなかったな前田 芙巳代『しずく花』」を想起。ぼくも帽子なので、欺せるほどの力はない。
隆:季語があり、五七五であり、これも俳句?
健介:独り言としてとても深みのある味わい。もし傍らで聞いていた人が「つまらねぇ〜」などとちゃかしたとしたら、私はその人の方のセンスを疑う。


その他の句

ふつふつと恋コーヒーの香り漂う   紫苑恵

満月:<ふつふつと恋>で切れるのか、<ふつふつと〜漂う>のか。後者だとすると<恋コーヒー>となっていかにも苦しい。前者だとすると後半の表現がいかにもおざなりだ。
あずさ:濃いコーヒー。
帽子:「香り」が「漂う」なんて、そんな出来合いの語を…。それ以外の部分はどうぞご勝手にって感じ。
AIR<特選>:何か胸がきゅんとなるような感じを覚えました。すごく現代的じゃないかな。

アイドルの据え膳すずなすずしろ仏の座   山口あずさ

満月:春の七草を三つも使ってこんなに引き伸ばしてどうしようというのだ。自由律を山頭火を基準に考えようというのもあまりに無茶で無謀な話だが、こんな自由律句が出ている限りそう言われてもしようのないものがある。
帽子:据え膳という語は嫌いなのでいつか使ってやろうと思っている。この句を読んでもその語は好きにはなれなかった。でも「アイドル」と七草の配合はとてもいい。
あずさ:<自解>アイドルのみなさん、拒食症にご注意。

陽炎や男女三人花化粧   松山けん太

満月:突然、白い仮面をつけたアングラ演劇か前衛舞踊の演者が飛び出して陽炎の中で怪しい動きを始める。男もするこの<花化粧>は尋常ではない。
あずさ:一瞬化け猫かと。
帽子:ギャグのつもりだろうが、笑えない。マジだとしたらちょっと疑う(なにを?)。

沈丁花かおりで探す深呼吸   城名景琳

満月:沈丁花をかおりで探そうとして深呼吸を?まんまじゃない。
あずさ:見えすぎ。
帽子:どんな歳時記見ても沈丁花の項には「香りが強い」と書いてあるから「かおりで」はまったく無駄。中七下五は「わたしってこんなに季節感だいじにしてるんですよ誉めて誉めて」という意味なので「風流ぶり」。

身ひとつは重たかろふと栄螺(サザエ)焼く   ぽんち

満月:身二つになる前、つまり妊娠中の妻に栄螺を焼いてやっている光景か。仲のいいことです。私には関係ない。
あずさ:♪サザエさ〜んは妊娠中♪
またたぶ:「重たかろう」じゃなく「ふと」ですか?「ふと」は俳句の命取り。
帽子:「ふと栄螺焼く」は面白い。「形容詞+ろ」という童謡調が苦手。それとも「身ひとつは重たかろ/ふと栄螺焼く」ではなく、「重たからう」の誤記で「身ひとつは重たかろふ、と/栄螺焼く」なの? もしそうだったら辞書くらい引こう。「ジェンダー」だって載ってるし。

啓蟄の闇のうごめく厨(くりや)かな   北山建穂

満月:<啓蟄の>の<の>が<闇>にかかるか<厨>にかかるか曖昧。それによって<うごめく>とのつきすぎがより意識されて失敗した。
あずさ:春に虫を二つ書いて、蠢(うごめ)くと読むのよね。この句は、漢字一文字のインパクトに負けてるように思います。
帽子:春に虫が出てくる「啓蟄」に「うごめく」(漢字で書くと「蠢く」、春+虫+虫だ)はつきすぎ。しかし俳句やってる人はどうして「闇」とかのアレな語が好きなのだろう。

十字路をベスパ曲るや雪柳   しんく

満月:十字路、ベスパ、雪柳、それぞれがばらばらになってしまった。<や>をつければ俳句になると思ってその<や>で俳句をこわした。
しんく:<自解>「曲るベスパや」かな? 
あずさ:ベスパ? 十字路の角に雪柳があったぞ、とそれだけの話なのかな?
帽子:松田優作がハンドル切り損ねて柳にぶつかり、そのまま真冬の川に落ちるなどという『トムとジェリー』的光景を幻視してしまった。中七の「や」がちょっと辛いけど、取り合わせは好み。
健介:気分のイイ句で好きなんだけど、もう一息、惜しい、って印象です。

三月は読む本どっと親子丼    松山けん太

満月:親子丼・・・三月に読む本は<親子丼>ばかりということか。素直に読めばそうしかとれない。<どっと>で切れるなら、なぜこの人はこんなところで<親子丼>を食べているのだろう。
あずさ:新刊本ラッシュか?
帽子:「どっと」で切れているのだろうか。だとすると主人公は学生さん?などという理屈が出てきてつまらない。むしろ切らずに、「読む本」が「どっと親子丼化する」ほうが面白いのだが。

書をやめてダンスはじめし母や春   あひる

満月:ご報告承りました。
あずさ:Shall we dance?
帽子:ステロタイプな「母」像に着地。ただの報告ですらない。かなりの作為を感じる。
健介:片やマジで書を始めなくては、と思っているこの私。

尾崎亡し笑い疲れぬ晴れ着の娘ら   またたぶ

逆選:帽子 

満月:現在のこういう年代が集まっている場所では<尾崎>もわかるだろうが、それ以外では無理。つまり場に甘えて表現をしていない。<笑い>以下はラ行が多く舌がもつれそう。
帽子:HP掲示板の「工場長日誌104」(4/7)をもじって言うなら「尾崎が好きなので、尾崎が出てくるこの句を選びました」的な鑑賞には、何ともがっかりしてしまう…」ということになります(ないない)。詞をプロパガンダするためだけにメロディを利用するタイプの音楽を個人的には音楽とは認めたくない(しかしどうしてみんな、大人は悪者で青春はイノセント、などという口当たりのいい図式に乗るんだ?)、というのはともかくとして、ひょっとすると「娘」と書いて「こ」と読ませようとしてないか(違ってたらごめんなさい。だとするとなぜそんな極端な字余りなのか?)。瞳と書いて「め」出発と書いて「たびだち」運命と書いて「さだめ」的なものは、たしかに「尾崎」的世界には似合うけど、というのが素人なりの素直な感想ですが、ひょっとして俳句の世界でも当たり前なの? だったらわたしは俳句続ける自信がなくなる。
あずさ:17才の地図。27才の愚痴。

おみやげは神の殴りし赤バット   紫藤泰之

逆選:安伸 

満月:<神の殴りし>がわからない。ついでに言えばなぜ<おみやげ>なのかそれが<赤バット>なのか。自分だけわかってないで伝えてください。読み手に何かを想起させてはじめて作品です。
あずさ:神様を信じているわけではなが、わたしは神様という言葉は少なくとも知っていて、どうもあまりいい印象を受けませんでした。
帽子:昔のジャイアンツか。カインとアベルの話をなぜか想起(あれは殴ったのはカインだが)。上五(ややヌル)が違っていたら採った。
安伸:神「を」だったら良かった。

花のまま落ちる椿やみんなクビ   城名景琳

逆選:斗士 

AIR<選>:はっはっは(笑)でもあまり笑えない切なさが、すごく伝わってきました。
満月:あまりにもつきすぎ。俳句の器は小さくて大きいから、もっとも大きな表現を意図しないと単なるたとえに終わってもっとも小さくなってしまう。
あずさ:落首と椿は付く。
帽子:どの歳時記を見ても「椿」の項には「花は散らずに萼ごと落ちる」旨銘記してある。よって「花のまま落ちる」はまったくの無駄。その「椿」に「みんなクビ」をつけたのはただのアナロジーであって、そもそも落椿が打ち首を思わせるので武家では椿を忌んでいたというのもあまりに常識(真偽のほどは知らないが)。ひとつ言えるのは、ポスト・ビッグバン(自分でなに言ってるかわからないけど)の時代には、この句のようなオヤヂ発想の社員から馘首の対象になっていく、ということだ。作者が会社勤めでないことを祈る。
斗士:わかりやす過ぎ。

婆一人朧に溶けてしまひけり   後藤一之

逆選:満水 

満水:「婆一人」の代わりに「白き足」とすれば、特選にした。趣味の違いで申し訳ない。
満月:つきすぎ。もっとしっかりしたものが溶けたらこわい。こういうのを朦朧俳句とでも名付けたい。
あずさ:ふーん。
帽子:俳句やる人ってどうして「一人」が好きなの? 「朧に溶け」るくらいでそんな報告されても…。

全身に赤チン塗れば半魚人   山口あずさ

逆選:蘭丸 

満月:半魚人は青い印象がある。これは赤魚か鯛の半魚人だろうか。そんなめでたい半魚人は滑稽なばかりで悲しくない。しかも赤チンを塗ったからだって?そりゃ玉虫色に光るけど、いいかげんにしてくれ。半魚人の本意本情(^^;をひっくり返すほどのことを書いていない。
蘭丸:ははは・・・・・・、全身に赤チンを塗るなんてことを一体誰がやるんですか。コント俳句?大好きです。心より敬意を表して、逆選(裏特選)。 
帽子:それくらいなことでなれるほど半魚人道は甘くない。こういう考えだから国産半魚人はいつまでたっても本場アマゾン産にはかなわないのだ。

俗限界メ・マラ・ハ   カズ高橋

逆選:一之 逆選:泰之

満月:お経みたい。「俗限界メ・マラ・ハ、俗限界メ・マラ・ハ・・・・」と唱えてしまいそうだ。「メ・マラ・ハ、メ・マラ・ハ、、、」なかなかリズミカルで楽しい。で、なぜマラの他が目と歯なのだ?【魔羅】(梵語)1,仏道修行を妨げ、人の心を惑わすもの。仏伝では、釈尊の成道を妨げようとした魔王の名。(一部略 広辞苑第四版)
泰之<選>:織田無道が往来で脂ぎった顔で説法している映像が浮かんだ。
あずさ:ア・ソウ・カ
帽子:目・魔羅・歯ってこと? どうでもいいがこの句(19)と「膣にpg」の句(18)が並んでいる選句リストって平板。
健介:歯・目・魔羅?……

膣にpg(ピコグラム)の異臭蛇出づる   和田満水

逆選:満月 逆選:健介 逆選:あずさ 

満月:あまりと言えばあまりにきたない。膣と蛇もつきすぎ。
あずさ:一体何のつもりなんだか。この手のイメージの醜悪さを庶民的と思う人もいるのかもしれないが、これほど身も蓋もない庶民性もないだろう。
帽子:蛇が? 膣から? エデンの園的世界。pg単位なのにこう書かれるとひどく臭そうだ。ていうか致死量って感じ。「向上句会」ではもう膣俳句は飽きた。男がやっても女がやっても「女」への思いこみになってしまう。男はみんなマザコンなんだからはじめから救いがたいが、女が「女」的なものに思いこみしてしまうのもたいがい滑稽ではないか(だって男サイドが作った勝手な「女」幻想にすりよってるだけでしょ)。そういう姿勢を笑ってあげるのが俳諧の「諧」だと思っていたが。
健介:「pg (ピコグラム)」はあくまで重さの単位でしょ? 違います? そういえば臭気を測定する単位ってあるのでしょうか? それは別として、内容が相当につまらない。だいたい「異臭」という表現に私はそもそも異論がある。“大逆選大会”でも有力。