第15回 青山俳句工場向上句会選句結果

(長文注意!)

前回から選句結果を作者名抜きで一旦発表し、選を検証する「つっこみ句会」を開催している。
歴代俳句工員が付き過ぎアレルギーを起こし、いささか過剰反応ではないかというお叱りも頂いた。
確かに美意識の王様(=先生)を設けずに放射状に発展向上するのが青山俳句工場向上句会の主旨である。
とりまとめ人としては、今後とも仲良くして欲しいわ (^-^!)、と思いつつ、が、しかし、遊び半分はやめて欲しい。遊ぶときには徹底的に大真面目に遊びましょう。
というわけで、つっこみ句会は別途まとめました。
通常の選句結果と併せてご覧ください。

向上句会とりまとめ:山口あずさ


投句:宮崎斗士、後藤一之、松山けん太、千野 帽子、足立隆、中村 安伸、白井健介、満月、にゃんまげ、AIR、うまり、しんく、べる、またたぶ、肝酔、桐原匙女、鯨酔、桜吹雪、糸日谷麻衣子、紫藤泰之、秋、城名景琳、杉山 薫、天乃晋次、吐無、蘭丸、凌、鈴木啓造、山口あずさ

選句協力:鉄火



全体的な感想

帽子:まったくの誤読から逆選もらってしまうこともあって、それを「犬に噛まれたような逆選」略して「犬逆」とぼくは読んでいるのですが、それ以外の理由のある逆選については、もらうと、これが「なるほど」と勉強になったりします。つまり逆選というのは、それなりに納得なり建設的反論なりしてくれそうな句にたいしてつければ、ひょっとするとその後の句会の「向上」とやらに役立ったりするものなんですね。こりゃ逆選つけても意味ないな、言うだけ無駄だな、という句には、1句しか選べない逆選をつけるのはもったいない。先月あのやたら長い句に逆選がついてるのを見てそう思ったので、逆選つけるのも厭だ、という句は以後そのように明記することにしました。そうやって外圧を高めないと、現在のわたしの長い長いスランプも終わらないような気がしてきましたものですから。
またたぶ:今回採った句は概ね、前回出てたら採らなかったと思う。まずいな、こんなこと書くようじゃ。(>込み自分)
景琳:私が思うに,付き過ぎの句でありとも,俳句としかり。今回,突発的な個性的なのが無いようで,残念。不思議に,逆の57から1にむかって,詠んでいくと,57全てに,高級感がただよった。きっと詠めば詠むほど味がでたって事なんだろう。
鉄火:久しぶりに工場見学に参りました。そして久しぶりに句会を拝見して、全体的に句が縮こまっているような印象を受けました。もっとおかしな句がたくさん出てくればいいのにな、と思いました。
けん太:すみません。今回はじっくり感想を書けませんで。でも、じっくり選句はしたつもりです。少し危険なイメージ、それに関西イメージ。よく表情が出ていたように思います。少し上向きの向上句会かな?
晋次:青山に参加して一年をむかえました。結社に属さず俳句をやれるこの場は、この一年間で貴重なものを与えて呉れました。そして、すこしは眼も肥えてきましたのでしょうか、安直な俳句が横行している現状がみてとれます。これについて先輩諸氏がすでに苦言を呈しており、あらたな試行もはじめております。俳句の方法論はそれぞれ違うことは百も承知の青山です。ここに青山の存在意義を感じるのは私ひとりだけではないでしょう。まして、とりまとめを無償の行為としておる山口あずささんの裏方としての仕事量を考えると、生半かな俳句を書くことは気がひけるくらいの気のひきしめが、必要ですよ。
麻衣子:古典的な句や、甘すぎる恋の句。私自身陥ってしまうワンパターン、使いまわされた表現。こう言うものは、アマチュアなのだから、俳句を楽しむ気持ちがあればいいと思う。だから私も、大手を振って下手な句を投句もしている。でも、やはり時事ネタは限度があると思う。あまりにも一瞬の出来事、そして流行り言葉、このようなものは私の個人的主観だが、好きになれない。
にゃんまげ:どの句にもいろいろな思いが込められていると思います。たとえそれが付きすぎであってもいいな、と思えば選句します。そしてそんな付きすぎの句を作って投句したりもします。ごめんなさい。私は素直な句が好きです。目指すところも「素直」。もちろん素直=付きすぎ、が常に成り立つとは思ってはいません。ただ、一部の方の過剰とも思える「付きすぎ」拒否反応が少々気になります。きっと、私はここの趣旨にあまりフィットしない人間なのでしょうね。選句リストには常に色んな句が存在していて欲しいと思う今日このごろです。まだまだ初心者の自分にとっては今回は学校の先生に宿題を出されたような気分で自由な選句がしにくかったです。アナタのような人は私たちみたいにレベルの高い集団と同じ土俵に入ってこないようにね、と言われた気分でもあります。もしも気分を悪くされたらごめんなさい。みなさんが「遊び」といいつつも一生懸命向上しようと努力されていることは理解しております。
満月:ごめんなさい。この句会になんだか疲れ切ってしまいました。歩幅大きくゆっくりと行きたいところだけど。。今回コメントは少し。
凌:一つは俳句といういかがわしい響きに惹かれて、もう一つは何でもありのおおらかさが魅力での初参加。しかし、読後の印象はいかがわしさもチョット希薄な感じがしました。
桜吹雪:特選に選びたい句がありませんでした。今回は三句、選句するのがやっとでした。すみません。
つっこみ!

9点句

水無月をあをあをとゆけ蒙古斑   満月

特選:麻衣子 特選:秋 晋次 健介 薫 凌 蘭丸 

啓造:面白いと思います。なぜかおむつの赤ちゃんが集団でおどる車のCMを思い出した。
千野 :植物の緑を形容する<あをあを>を<蒙古斑>に配したのが売り? <ゆけ>はいいんだか悪いんだか中途半端。
薫:蒙古班には重荷かも。
鉄火:蒙古斑は確かに気になる存在です。宙を飛んでいてもおかしくない、という気がします。
秋:すばらしい、抒情詩。感動で言葉がありません。
晋次:人体の表徴が天駆けるイメージがでているが、「あお」と「蒙古斑」が付くとのコメントもでるだろうな。
凌:「水無月」という深い意味を持つ言葉と「蒙古班」の取り合わせを面白がっていたら、「ゆけ」という命令形が、山野も青々と繁る青水無月を出発する息子と、それを見送り父の図を浮かび上がらせて、特選にしなかった。
麻衣子:今更ながら、「蒙古斑」と「あおあおとゆけ」の取り合せ、そして勢いに、私もつられてしまった。力強い響きがいいと思う。
健介:読み手としては「ゆけ」にやや思い入れ過剰という印象を持ってしまった。ここは<あおあお歩む>ぐらいに抑えてよかったところなのかもしれません。
またたぶ:つけるなって。
つっこみ!

8点句

万緑が万緑を呼ぶ肩車   肝酔

特選:隆 特選:一之 景琳 またたぶ あずさ 帽子 

またたぶ浅い読みに終わりかねない危うさも感じるが、好きになったんです、つまりは。韻いてるのがポイント。
千野 :ちくしょう。この手口には見覚えがある。でも今月のように不可だらけだと、これくらいしか採るものがないではないか。下五の媚びには目をつぶって1点。
景琳:万が万で,緑の多さがあふれている。
鉄火:肩車をされたときのちょっと胸のすくような感覚がよみがえってきます。胸のすく感じを「万緑」に集約してあると睨みましたが、重い言葉の繰り返しがカタルシスを生んでいると思います。
あずさ:肩車って森が動くかもしれない。。
健介:「万緑」では景が大き過ぎる感じも。<新緑が新緑を呼ぶ肩車>くらいが宜いか?
隆:ストレートで、力強く堂々としている。こいうまっすぐな句を見ると嬉しくなります。

合コンのあとの王政復古かな   中村 安伸

特選:啓造 凌 隆 麻衣子 帽子 泰之 あずさ 

啓造:面白い。ユーモラス。若者のグループにもある政治力学のダイナミズム。
千野 :ちくしょう。この手口には見覚えがある。でも今月のように不可だらけだと、これくらいしか採るものがないではないか。馬鹿馬鹿しさに一票(もちろんこれ、ほめているのである)。
泰之:合コンでいまひとつ流れに乗れなかった男が合コン反省会で一気呵成に場を仕切っている。そんな空しい威勢のよさがうかがえます
凌:何の連絡も必然もない語と語が、ぶつかり合って意味を生む。いや意味は生まない方がいい。この句の場合、「王政復古」という意味を持たない言葉が存在するたけで一句は成り立つ。
麻衣子:コギャルとか、サッチーとか詠まれるのは嫌いだけれど、この句は「合コン」と「王政復古」のバランスがいい句だと思う。さらりとしているし、何か奇を狙った厭らしさがない。こういう句を、自然によんでみたい。
あずさ:王政かどうかはわからないが、何かが確かに復古する。
健介:“王様ゲーム”に引っ掛けて「王政復古」と言ったということか? でもいまいちどういう意味なのかよく分からない。俺「合コン」の経験無いしなぁ…
隆:何やよく分からぬが納得。
つっこみ!

梅雨空やあんさんたまには買いなはれ   肝酔

特選:鯨酔 吐無 秋 健介 景琳 一之 けん太 

啓造:「あんさんたまには買いなはれ」といった日常会話の断片を素材にした句をとことん追求してみるのも面白いと思った。
千野 :なにを? というのはともかくとして、この中七下五を活かそうと思うならゼッタイに上五を「や」で切ってはいけない。
満月:へい。で、やっぱりあれですかい?
鯨酔:不況の折、消費拡大が国民的課題です。「文学的(?)な言い回し」に腐心して景気対策の実効が上がらない政府のすっきりしない景気見通しを季語が裏打ちしています。
景琳:関西弁?の買おうって響きが広がる。
吐無:いつも冷やかしてばかり、少し気が引けて。
秋:季語とのギャップ、何といっても、この句は軽さがいい。諧謔性というのかしら。
健介:こちらの句を特選にすべきか実は最後まで迷った。この手の面白みはとても好きなんですよねぇ。何を売っている人かは分からないけど。“ものまね調 笑福亭鶴瓶(字が違うかな?)風キャラクター”(何なんだそりゃあ?)の台詞って感じです。
あずさ:関西地方とそれ以外ではこの句の受けとめ方は違ってくるような気がする。わたしは下手をするとあらぬ誤解をしてしまう。決して笑えない一句。
隆:おっさん少しはまけなはれ。

7点句

蛇苺予期せぬ父を隠しもつ   天乃晋次

特選:凌 泰之 桜吹雪 啓造 薫 肝酔 

啓造:この句の登場人物はいわゆる私生児なのだろうか?「蛇苺」もよく効いていて大変よろしゅうございました。
またたぶ:この既視感を振り切るにはもう少し洗練かテクが必要でしょう。
千野 :だれが<予期せぬ>の? あなた? それとも<蛇苺>? しかし<蛇苺>が<隠しも>ってるのだから、<蛇苺>本人は<父>の存在を知っているのだよね? それとも季語で完全に切れてるの?
満月:予期せぬのに何で隠し持っていたんでしょう。
薫:長長と父の影が写ってるし。
肝酔:蛇苺も名前からしてなんか背後に暗い闇が広がっているような感じがする言葉です。そこに予期せぬ父が隠れていたとしても不思議ではありません。ただ「父をもつ」の「もつ」というところにちょっとひっかかりました。誰が「もっている」のでしょうかねえ。
泰之:道端に何げなくある「蛇苺」を眺めながら思う、「予期せぬ父」「蛇苺」の赤色のまがまがしさが、「予期せぬ父を隠しもつ」ことの後ろめたさと呼応して二物が微妙な均衡でぶつかり合っているように思います
凌:「蛇苺」という語の隠微なイメージによって支配される情景がまずあって、「予期せぬ」非在の父がくっきりと存在している。背中じゅう痣にまみれてずっと隠されている父は私かも知れない。蛇苺を口にすると蛇のような皮膚になると、子どもの頃聞いた話はやっぱり本当だったんんだ。
桜吹雪:「隠しもつ」という表現と「予期せぬ」という表現を同時に使うところに矛盾を感じますが、蛇苺の不気味な印象としては、まずまずでは。
健介:「隠しもつ」と言ってしまうと「予期せぬ」の感じを活かしきれない気がする。例えば<父だといふ予期せぬ男蛇苺>と言うにとどめて「隠しもつ」で別の一句を作る方が宜いかもしれない。
隆:作者は何を期待したのでしょうか? それが分らないのです。
つっこみ!

ぼうたんやジャンジャン町で将棋指し   しんく

特選:蘭丸 満月 斗士 秋 安伸 けん太 

啓造:なんだかおもしろいけどよくわからない。「ジャンジャン町」ってなんですか?
千野 :<ジャンジャン町>っていうのがあるんですか? よくわかりませんでした。
満月:<ジャンジャン町>が実在するのか否か知らない。が、街角でバンコ将棋?しているおっちゃんがいる昭和前半の猥雑な町を思い浮かべた。この<ぼうたん>は安っぽい大きな作り花。なぜか中村嘉津男(?)と吉田日出子の顔が浮かんでしまう。
秋:まず、牡丹をぼうたんにしたのがいい、ジャンジャンが生きる。明るくって、将棋を指すという緊張感と勝ちたいという興奮と色んなものがぼうたんで決っている。大変に上手い。
安伸:ご存知の方はご存知だと思うが、釜が崎と新世界を繋ぐジャンジャン町は独特のただれた雰囲気が実に楽しいところである。将棋はジャンジャン町の雰囲気を伝える小道具として許容できる。この句の手柄は華麗なぼうたんを配したところである。刺青の唐獅子牡丹だとすると興ざめだが、ここは「ぼうたん」の表記によって救われている。
斗士:「ぼうたん」と中七下五との距離感がいい。
蘭丸:想像するに、ジャンジャン町とは、ジャンパー姿のオッチャンたちが昼間から食堂で焼き鳥片手に焼酎をあおり、競馬中継を観ている街のようなイメージ。そして、街角では勝負師が通行人相手に将棋をさしている。そんな街に妖艶な牡丹が咲いて・・・・・・ドラマッチックです。
健介:「町で」とあるので「将棋“指し”」は連用中止法ということか? 棋士(或いは真剣師)という意味の「将棋指し」(名詞)とすれば<ジャンジャン町の>となるのではないかと思うので。いずれにしても「ジャンジャン町」をよく知らず、充分な鑑賞ができなくて申し訳ない。

黒南風の倉庫撮影禁止なり   足立隆

特選:肝酔 匙女 一之 安伸 しんく 満月 

啓造:面白いと思う。なにか物騒な物が格納されているのだろうか?
千野 :ウェルメイドってほどじゃないけど、とにかく可もなく不可もなくといった感じだ。不可が多い昨今の向上句会ではほっとするといえばするが、むしろこういう不可を避ける方向に行くのはそれはそれでマズイと思う。この倉庫での撮影だけでなく作句も禁止したいところ。
しんく:映画やドラマでは必ず悪者たちが人気のない倉庫でコソコソと取り引きしている。揚句はそんな一場面か?それともそのシーンのロケを断られた図?
満月:やばいことしてるな。黒南風ってとこがまたむんむんしそうで秘密めく。
肝酔:黒南風に「撮影禁止の」倉庫を取り合わせたのは作者のお手柄だと思う。のしかかってくるような不吉な予感が取り合わせによって増幅されている。それに言葉のつながりに無理がないので、多くの人に伝わりやすい句だと思う。独りよがりじゃない、って言えばいいのかな。
安伸:黒南風はつきすぎのように思うが、この雰囲気、句のかたちは悪くない。
匙女:重い緊張感をもつ漢字・熟語の並びが活きている。
健介:「撮影禁止」というだけでは何の「倉庫」かは想像しきれない。せめてもう少し手掛かりが欲しいと思う。

貘鍋は子供が寝静まってから   紫藤泰之

特選:帽子 特選:薫 特選:あずさ 啓造 

啓造:「貘鍋」は造語?面白いですね。大人の童話ですね。
またたぶ:かみしめると味わえるなー、この句。
千野 :ちくしょう。この手口には見覚えがある。でも今月のように不可だらけだと、これくらいしか採るものがないではないか。<獏>と<寝>の近さは計算ずくであろう。
満月:その鍋の中に子供が。
薫:だから子供しか夢は見られない。そっか。
あずさ:やはりお宅もそうですか。
健介:美味そうな気もするけど喰っちゃイカンでしょう。精力増進?

6点句

ピエールの黒いかばんにかたつむり   松山けん太

特選:満月 隆 鯨酔 またたぶ しんく 

啓造:人名にだまされやすい僕。
またたぶ「桃色のなめくじり」の続編? ジャックやフィリップでは成らない。かたつむりの居場所は確かにピエールの黒鞄であろう。
千野 :電気グルーヴのピエール瀧? それともぼくの師匠のピエール・ブリュネル?
しんく:黒いカバンの持ち主が警官に職務質問を受けるのは泉谷しげるの曲ですが、揚句のピエール→フランス人の名前、かたつむり→エスカルゴ→フランス料理、で付き過ぎとなるのでしょうか?
満月:かばんに夢を詰めて売りに行くというような童話的シチュエーションか。しかしたくさんのかたつむりがかばんの中で動き出しめろめろめろ・・・と考えるとこれはオカルトに近い趣味かもしれない。現実にエスカルゴ業者?というのもあるかもしれないが。<黒いかばん>がいろいろに想像を膨らませられていい。
鯨酔:仏蘭西人の黒いかばんに蝸牛。印象鮮明です。何、直ぐにバターと大蒜で食っちまうってか、このエスカルゴ野郎。
鉄火:かたつむりは思いがけないところにいたりする。ピエールはカルダンなのか、という微妙なところがいいと思う。
健介:唐突に「ピエール」なる新キャラに登場されましても、どちらのピエールさん?て感じでして…
隆:かたつむりはエスカルゴ、ピエールさんは料理人、ということで強引な解釈。しかし、そうしう風では身も蓋もありません。

5点句

神主のよろめいてゐる祭かな   後藤一之

特選:吐無 泰之 匙女 しんく 

啓造:「女神」に「よろめいてゐる」という解釈がバックにあると面白く読める。
千野 :類想が馬に喰わせるほどありそう。ようするにアレでしょ、威厳を保たなきゃいけない人がつい間抜けな(「人間臭い」という腐った言いかたがあるよね)とこ見せちゃった、ってことですよね。それをそのまんま575の形にして味わうのが俳句なのだったらゴメンだ。悪いけどほかに愉しいことはいっぱいある。
しんく:みうらじゅん氏の現在のマイブームは全国のとんまな祭をみてまわる「とんまつり」というもの。揚句はそんな一場面をみるような軽快な句です。
吐無:あり得そうな風景をユーモラスに、しかも冷めた目で詠んでいる。神主さんにとってはその年の一大イベント。抑えきれい興奮状態が、よけい強調されて伝わってくる。
泰之:「祭」とは神と人間とがつながるハレの場で、その交流の場に立ち会うのが神主。神が降りてくるときの、心身ともに揺れ動く神主の一瞬が、この句の中に収められていると思います。
匙女:思わず「おつかれさん」とひと声かけたくなってしまう。
健介:これだけですとちょっと私には場面が見えてきませんでした。すみません。

リラ冷えや梯子三段踏みはづす   杉山 薫

斗士 吐無 桜吹雪 肝酔 しんく 

千野 :不可のないただごと。
しんく:梯子を三段も踏み外すとかなり危ない。すねを怪我しそうだ。リラ冷えによく合っている。
肝酔:北海度の長い長い冬の後、やっと春が来たと思ったらまた急に寒くなる。ずっこけますよね。
吐無:踏み外したのが三段くらいでよかった。リラ冷えの頃には、あり得そうだ。
桜吹雪:なんとなく滑稽味があっておかしい。
斗士:きっちりとした作り。「リラ」効いているのでは。「三段」ははずし過ぎなんじゃないかとも思ったが、「二段」だと物足りない感じだし。。。むずかしい。
健介:ネガティブなトーンで押し通すとしても、詩的広がりに少し欠ける気がします。

ヴィ−ナスの螺旋を滑る昼の虻   鯨酔

特選:斗士 特選:しんく 晋次 逆選:帽子 

啓造:ミロのビーナスの立ち姿は螺旋階段に見えなくもないが・・・。ちがったかな?
またたぶ:「ヴィ−ナス」と「昼の虻」が近すぎる。「螺旋」からポップアート調へ鑑賞を転じればやや救われる。
千野 :<ヴィーナス>という語の選択に媚びを感じる。<昼の>はさいしょ無駄だと思ったが、ある乾いた感じを出すためにはやはり必要なのだろう。しかしこの句は乾いた世界を構築しているというより、なんか乾いたものへの憧れを募らせているだけのような気がする。それじゃ三島由紀夫の小説とおんなじだ。だから三島好きの人に採ってもらうといい。
しんく:読んだ瞬間に、くっきりと絵がうかんできた今回のヴィジュアル賞を特選とさせていただきます。
満月:どうも想像力が貧困なのかもしれないが、庭園などに設置してあるヴィーナスまがいの置物を虻が滑っていった、というだけの句のように思えますが。。このヴィーナス自体が螺旋形。。?
晋次:好みのフレーズなのだが「ヴィーナスの螺旋」の螺旋が下句を簡単にも呼び込み、まさに滑りやすくしたのが、この句に平明感をあたえている。
斗士:生き物への賛歌。昼の虻だけに許された「生=遊び」である。「滑る」も、いい味。
健介:「ヴィーナスの螺旋」というのが解りませんでした。ごめんなさい。
あずさ:「抽斗のあるミロのヴィーナス」が好きです。ヴィーナスの螺旋って、要するにウェストのくびれなわけですよね。なんかこそばゆい。

4点句

万緑という落し蓋抗うつ薬   秋

斗士 健介 啓造 またたぶ 

啓造:これは大変うまい句だと思う。「万緑」と「抗うつ薬」のコントラストもいいし、「落し蓋」という飛躍のある見たてで繋いだところが秀逸。
またたぶ「:万緑」を「落とし蓋」とみた貴方を素直に尊敬する。でも下五は練る余地あり。少し説明臭ない?
千野 :<万緑><茂><青葉><若葉>などに「鬱勃」としたものや精神の危機を配するのは初歩中の初歩。<落し蓋>はいいと思うが<という>で見立てて「売り」にするほどのことか?
斗士:「落し蓋」という持って行き方に惹かれる。万緑独特の重量感。ただ「抗うつ薬」が、やや言い過ぎではないか。
健介:「万緑」を「落とし蓋」と捉えるというスケールの大きさが魅力。発想が実に斬新で面白い。“うつ”の感じをとても上手く言い得ているように思う。私の印象では「抗うつ薬」を頭に持ってきてはどうかと思いますが。
あずさ:「五月病」という言葉が安直に浮かんでしまった。
つっこみ!

ピザ宅配車を抜き去りし夏燕   白井健介

匙女 桜吹雪 啓造 一之 

啓造:うまい。きもちいい。平明。さわやか。
またたぶ:チノボーさんの「天使魚をのせて深夜のバイク便」がいかによかったか再確認できた。
千野 :なんかことさらに「<ピザ宅配車>って現代的でしょ? でしょ?」って言われてる気がする(勘違いだったらすみません)。だってなにかを<夏燕>が<抜>いて<去>るっていう着想が当たり前すぎて。
満月:初夏の景。さわやか。ちょっとした取り合わせというだけ。
匙女:「街」とか「村」でなく「町」の匂いを感じる。シャッターチャンスをしっかり捉えたスナップ写真の印象。
桜吹雪:単なる風景ではあるが、爽快さは感じ取れる。

行きずりの男見送る夏の雨   山口あずさ

特選:健介 肝酔 蘭丸 

啓造:「行きずりの男」が「通り雨」を見送っているともとれるが・・・。
千野 :演歌の花道。逆選の価値すらない。
肝酔:女のふてぶてしさを臆面もなく表現したところがよい。ザーッと雨降ったら、もう忘れちゃうんだよね。
健介:特選句へのコメントが一番簡単なのもおかしいが、今回はこの句が特選。「夏の雨」が利いている。
つっこみ!

腹這いのまま漂泊の身となりぬ   凌

特選:安伸 にゃんまげ けん太 

啓造:精神の「平泳ぎ」をしているのだろうか?
千野 :出たよ。<漂泊>。この語も、俳句やってる人、好きだよねえ。サブイボ立つくらい恥ずかしいんですけど。
満月:サーフボードに腹這いになって畳を掻いている寝たきり老人を思い浮かべてしまった。腹這いと漂泊を結びつけるのはかなりむずかしい。
安伸: ベッドに腹ばいになったままで、音楽も小説も何でも楽しめるし、どこにだって旅ができる。そんなお気楽な時代をもっと肯定してもよいのでは?というようなメッセージはともかくとして、この句の姿は美しい。
にゃんまげ:よくやってます
健介:漠然としていて分からないんですが…
つっこみ!

魚屋にヌードカレンダー走梅雨   白井健介

蘭丸 吐無 景琳 安伸 

千野:ただごと。というかいまどきこんなセクハラな店あるか?
景琳:魚はいつもヌード,めくれた6月の暦に気づいた。
吐無:考えてみれば魚もヌードだ。魚屋にはヌードが並んでいるわけ。走り梅雨のときだけに、魚屋のヌードカレンダーが違和感なく作者には見えた、きっと。真夏の大陽への期待感がそう思わせる。
安伸:車中でエロ漫画を読んだり、PCの壁紙をヌード写真にするような、生まれついての下品な人々。愛すべき存在だと思いませんか。魚屋のヌードカレンダーというものを発見したのは偉いです。僕にとって教会のイコンよりは尊い。走梅雨は可もなく不可もないと思います。
蘭丸:魚とヌードと雨。エロチックさを感じるのは、ぼくだけでしょうか。
あずさ:わたしの会社のモニタ画面は一時期クリムトの裸婦像でした。マネージャー(←とてもエラいおじさん)がそれを見付けて、「これ、ちょうだい」と言いました。

夜も昼も地下茎は銀に触れる   中村 安伸

凌 満月 麻衣子 薫 

千野 :もう一押しほしかった(って書かれると腹立つんだよねえー。「お前わかったようなこと書くなよ。なんだよもう一押しって」って気分になるんですよねえ。ぼくもよく書くし、またよく書かれもするのですが)。
満月:輝きがある。地下茎が輝きだしてやがて・・・。<触れる>に、いつまでも<銀>に対して新しい驚きを失わないうぶさがあって、読むこちらまではっと脚を引こうとする。<夜も昼も>は賛否分かれるところか。
薫:のべつまくなし。
凌:「夜も昼も」はやや饒舌だと思ったが、「銀に触れる」は本当だと思ったし、その見えない銀を感じ取るのは詩人の感性だと思った。
麻衣子:これは、映像的に広がった。目の中に広がるイメージが、今回の選句の中で一番インパクトがあった。そして、気づいたら選んでいたという一句。
健介:私にはこういう句は解らないんです。
つっこみ!

3点句

熟睡の男の寝息塞ぎけり   うまり

特選:けん太 吐無 

啓造:そんなことをしたら死んじゃうじゃあありませんか。
千野 :おいおい、こんなとこで犯罪を告白してもらっても…。ともかく<寝息>を<塞>ぐ、という言いかたが中途半端。
満月:ヒトゴロシ・・
吐無:句のような情景を想像してみたくなることがあるのだろうが、怖い。
斗士:中途半端。どうやって塞ぐのか?
健介:「熟睡」と言って、また「寝息」と言うのはできれば避けたいところ。無理なく季語も入ると思うし、例えば<間男の深き午睡の息塞ぐ>とか、穏やかじゃないけど。
隆:殺人?
あずさ:小さい頃、祖母に叔父を起こしてくるように言われ、「鼻をつまむと起きるよ」とアドヴァイスされたので、そのようにした。叔父はちゃんと起きた。おばあちゃんは正しかった。
つっこみ!

鶏卵は魚(うを)よりつめたくて五月   千野 帽子

凌 蘭丸 満月 

満月:言われてみればたしかにそうである事実を、鶏卵、魚(うを)というわざと冷たい言葉遣いで巧みに現実の感触を剥ぎ、「冷たい」その一事のみに感覚を集中させたテクニックは秀逸。<五月>がこれほどみずみずしく透明感を持って感じられる句も少ないだろう。次点。
凌:鶏卵が魚よりつめたいというのは、私には新鮮な発見だ。小さな発見かも知れないが、小さいからこそ、宇宙の星を発見した大きさに匹敵する。「五月」も動かし難い。
健介:断定したとしても説得力があるかどうかですが……
つっこみ!

2点句

座禅かな金魚一匹ずつ逃がす   宮崎斗士

帽子 あずさ 

啓造:「金魚一匹ずつ逃がす」行為は確かに瞑想の境地に通ずるものがある。
千野 :禅問答だな、これは。こういう句の形にする必然があったかどうか。「一匹ずつ金魚を逃がす座禅かな」じゃだめなの? 違う意味なの?
満月:座禅と金魚の間にどういう関係が??<かな>がへん。
あずさ:座禅を組んだことはないのですが、きっとそんな感じなのでしょう。
健介:以前これとよく似た句を見た記憶がある(錯覚か?)……今回もよく解らない。

浮遊する午後の生徒は水中花   桜吹雪

鯨酔 またたぶ 

啓造:お弁当を食べた後、授業中に居眠りをしているような、学級崩壊のため教室を抜け出てラリッているような・・・・。清純な乙女が淡い恋を夢見ているといったシーンがこの句からは浮かんでこないのは、世相のせいなのであろうか?
またたぶ:「水中花」が「浮遊」ってつきすぎにも程度ってもんが…… でもいまどきの「生徒」と「水中花」でリメイクすればという将来性に一点。
千野 :出た。<浮遊>だって。エヴァ庵野的なものをことさらに持ち上げるオヤヂ言説、もしくはその言説の尻馬に乗って消費されていることに気づかない若者的言説。
鯨酔:説明調が少し気になりますが、気分は良く判ります。
泰之:(aはb)という見立ての形式はあまりに説明的・公式的・図式的では助詞「は」を、「や」と置いて切ってみたらどうかでもそうすると、水中花と「浮遊する」が付きすぎか、、、。
健介:「浮遊する」が係るのは「午後」までなのか「午後の生徒」なのか一瞬迷う言い回しなのが少々気になる。やっぱり私には「浮遊する」と「水中花」とは結びつかなかった。

帽子売り場に次々帽子映す鏡   またたぶ

隆 けん太 

啓造:これは挨拶句なんでしょうか?
千野 :形は好き。<次々>という時間的表現を非時間的対象に用いているのがとくに好き。と認めたうえで、やっぱりただごとなんじゃないかと思う(ただごとがすべて悪いというわけではない)。ちなみに、この句にたいして「季語を入れたら?」と言うのは対処療法として間違っていると思う
満月:別の物を映してほしい。
健介:ふと思ったんだけど“帽子(量産型チノボー)売り場”ってかなり怖い。あまり想像したくないかも(笑)。
隆:帽子だからOK、ネクタイではつまりません。
つっこみ!

雨上がり 深呼吸する いちごかな   にゃんまげ

健介 一之 

啓造:うーん、どうして「いちご」なのかな?
またたぶ:採りたいようで、採り切れない。
千野 :去年の秋ぐらいから毎月毎月毎月毎月毎月毎月毎月だれか(ぼくも)が言っているが、なんで一字アキを入れるのがやまないのかというと、毎月毎月毎月毎月毎月毎月毎月新しい人が投句してくるからで(それ自体はいいことなんだけど)、たぶん「先人の俳句を読まなくても俳句を書ける」と思っている人が一定数いるということの証ですね。俳句の世界には小学校の作文のような「心の赴くままに書きなさい的」戦後民主主義は及んでいない、ということをだれか教えてやってほしい。というかじつは作文でも、「心の赴くままに書く」ことは不可能なのであって、それは文章を大量に読んで研鑚した人の文章とちがって、「自由」に書いた素人の文章や小学生の作文がみんな似通っている、という事情も同じ。さてこの句だが、擬人法は「ポエム」とやらの第一歩とか。親や先生の顔色を見てなにを書けば受けるか熟知しているあざとい6-7歳のクソガキ(作文子役、と謹んで称号を奉る)が書くんだよね。で勘違いした親が川崎洋先生の「こどもの詩」に投稿したりして。で宝島のVOWに載ったりして。逆選の価値すらない。
満月:初めて俳句を作った方でしょうか。小学生?かわいいですね。いちごのどんな様子が<深呼吸>にみえたのでしょう。字と字のあいだは俳句ではふつうあけません。今度からつめて書いてくださいね。
斗士:一字空けの意味がわからない。一字空けでなければ選に入れたかった。
健介:「雨上がり」⇒「深呼吸」という発想はやや平板。「深呼吸するいちご」という擬人法も平凡な感じ。初心者風の印象を受ける句。けれどもこの情景は私の幼い頃の記憶に残っており、とても懐かしい気分に浸ることができましたのでやっぱり採ります。
隆:どうやら、こういう素直なものは、選に入り難いようです。私はどうしても採れませんでした。
つっこみ句

栃の花解けぬなぞなぞ新小岩   吐無

秋 鯨酔 

啓造:「新小岩」というところを知らないけれど、なんだか納得させられてしまう。でもこのパターンちょっとずるい気もするんですけど(ごめんなさい)。
千野 :2箇所で切れている。つまり三題噺。こんなんでよければいくらでもできますね。「えごの花延滞ヴィデオ桜木町」「藤の花リーチ一発新大久保」。
満月:各節が全部ばらばら。
鯨酔:下目黒でも富士見台でも良さそうですが、下町の雰囲気がいい気分です。じゃあ、錦糸町でいいじゃんか!
鉄火:なんだかおかしい。
秋:語彙の上では、上五、中七、下五が繋がらないのに、私には思い描く事が出来た。作者は電車に乗っていて栃の花に関してなぞなぞめいたものを考えている。新小岩を通過しながら、というものです。自然に、描けれたので、いただきとします。
健介:もろに三段切れですね。

消毒せりいそぎんちゃくの歌流れて   宮崎斗士

泰之 晋次 

啓造:これはもしかして、なになかかったなにを消毒したのだろうか?
千野 :<いそぎんちゃく>は好きでよくそれで俳句を書くのだけど、<歌流れて>のせいでひどく甘い方向に<流れて>しまった。<消毒>と<いそぎんちゃく>の組み合わせはイケてる。
満月:いそぎんちゃくの歌とはどんな?消毒とは???
泰之:「いそぎんちゃくの歌流れて」。いそぎんちゃくが歌うのか、それとも忌み歌の一種なのか。とにかく、色々想像がひろがるフレーズです。ただ、上五「消毒せり」は「いそぎんちゃく」に寄りすぎの感がありますが、いかがでしょうか
晋次:上句の「消毒せり」が効いて、下句の童謡調のフレーズが救われている。
健介:何を「消毒」するんだろう?「いそぎんちゃくの歌」ってどんな歌?

パーティは泣きたいくらい青林檎   桜吹雪

帽子 景琳 

啓造:「泣きたい」のは嬉し涙?それとも・・・。
千野 :ちくしょう。この手口には見覚えがある。でも今月のように不可だらけだと、これくらいしか採るものがないではないか。ちょっとずつ近いけどずれている語の選択。
景琳:何のパーティ?涙の青が写っている。
健介:この「パーティ」というのはやはり人の名前でしょうか?

梅雨入りのデニムは重く恋軽く   糸日谷麻衣子

特選:匙女 逆選:景琳 

啓造:意味を拡大して鑑賞しようと思いましたが、ちょっと無理でした。青春俳句としてはかわいらしい句だと思います。
千野 :<梅雨入りのデニム>が<重>いという湿気のとらえ方じたいが持って回ってじめついているが、それに<恋>とやらの<軽>さを対比する伊藤園センス。逆選の価値すらない。
景琳:梅雨時の湿気にデニムは,時には,肩こりにもなる。
匙女:湿ったデニムの重いごわごわが迫ってくる感じ。下五でミラン・クンデラを思い出したのはわたしだけ?
健介:「梅雨入りの」だと“雨”自体ははっきり見えてこない感じもする。例えば<さみだるるデニム重たく<恋軽く>とした場合の印象とは違う。作者の意図はどんな感じなのかなぁ?

薔薇の花盗ろうかやめよか考え中   吐無

特選:景琳 逆選:鯨酔 

啓造:盗みはやめたほうが・・・。
千野 :オヤヂギャグって評判悪いが、オヤヂギャグさえ言えないオヤヂもいるのだ、と気づかされる。逆選の価値すらない。
満月:コマーシャル盗ってしまって大きな顔。
鯨酔:CMキャッチコピーのパクリはもっとセンスアップして欲しいと思います。
景琳:バラのトゲは,盗人を考えさせられる。
泰之:「ノバ」のCM? しかし、句として見たとき、「盗ろうかやめよか」に「考え中」とつけるのは蛇足では
健介:私は(この句を)採ろうかやめよか考え中……

1点句

蛇交む深きしじまやラビリンス   鯨酔

匙女 

啓造:「蛇交む」「深きしじま」「ラビリンス」など、いずれも神秘系、オカルト系の言葉が重なってしまい、逆に句から神秘性が失われてしまい残念。恐怖や神秘は何でもない日常と隣り合っていると、なおさら怖くて不思議。
またたぶ:イメージ依存過多句。
千野 :うわっ。出た。前から聞きたかったが、<しじま>とか<闇>ってカッコイイか? ぼくは恥ずかしいと思う。
匙女:ニキ・ド・サンファルの香水瓶を思い出した。ラビリンスと蛇の取り合わせはなんとなく「神話」を感じさせるような。
健介:「や」の“切れ”で「ラビリンス」が孤立するように意図したと思われませんので…。<蛇交む深きしじまのラビリンス>ではいけなかったのでしょうか。
あずさ:「蛇」「深きしじま」「ラビリンス」はだから何度も言うようだけど付き過ぎだよ。3段腹、じゃなかった、3段付き。

宇宙人より白魚が到着す   杉山 薫

肝酔 

啓造:面白いような気がしますけど、「白魚」が僕には読めない。
千野 :どっか変なところから<白魚>などという俳句的なものが<到着>、それも自力で泳いできたというよりクール宅急便とか(飛脚クー)「ル便」で、という感じはおもしろいが、<宇宙人>ではなんか俳句として当たり前すぎで、手抜きを感じる。ところで、もしアラファト議長とかから送ら送られてきたら、白魚ってうれしいかも(うれしいか?)。
肝酔:そういえば白魚って、地上的じゃあありませんね。確かに宇宙から送られてきたような気がする。「そう言えばそうだよね」という気づきを促す句も面白いです。
健介:これって、食べよかやめよか考え中?
つっこみ!

刺青の男腹撫す扇風機   後藤一之

隆 

啓造:滑稽感をねらっていると思うが・・・。
千野 :<腹撫す>はなんて読むの?
満月:<腹撫す>はハラブスと読むんでしょうか。慣れない言葉です。
健介:私が想い浮かべたのは、仰向けに寝ていて「腹撫す」場面だったのですが。
隆:やくざが情婦の所でくつろいでいる風景。

ゾウさんの肖像の下に風船   桐原匙女

あずさ 

啓造:何を暗示しているのだろう?暗号がとけない。
千野 :<肖像>ってたいてい人間に使うの。ダークダックスに<ゾウさん>っていなかったっけ。
健介:う〜ん…よく分からない。
あずさ:ババール。(あ、ババールが好きなだけで採ってしまった。。。--;)

魚のごとくすべりひゆのごとく癒ゆ   満月

晋次 

千野 :直喩の確信犯。同質の語が並んでいるのも確信犯だが、ちょっと惜しい。
鉄火:すべった後に癒されてしまう点にちょっと引っ掛かりました。
晋次:この句で「ごとく」を2度も使う野暮は承知の沙汰であろうが上句と下句が相対化されて立ち上がる気配がないのが残念なところか。
健介:ごめんなさい。「すべりひゆ」をよく知らないもので今は何とも……

天動説のコギャル手強い青嵐   鈴木啓造

秋 

千野 :<コギャル>が<天動説>じゃ普通すぎ。なんでこんな当たり前のことを句にするのか。逆選の価値すらない。
秋:天動説と大きく出たところが気持ち良い。特選にしたいぐらい。
健介:「コギャル」といわれる人たちが「天動説」的なコトを考えているというイメージがあまり湧かない。「手強い」という印象を持つほど関わってももらえない(?)し……
あずさ:コギャルを怖がっているようじゃ、まだまだだね。コギャルなんぞ、ボキャブラリーは少ないは、自分の置かれている状況認識は甘いは、よくよく話を聞くと切ないわ、要するに、「いつか来た道」なのよね。

平和するそら豆御飯釜おなじ   城名景琳

にゃんまげ 逆選:あずさ 

啓造:「釜おなじ」がわからなかった。「平和する」という措辞に作者の力点があったと思うが、この句会の中だと色あせて見えるしようのが不思議。
千野 :<平和する>はつまらなくはないが、下五が「なんだこりゃ」。
にゃんまげ:平和ってそんな雰囲気かもしれない・・・
健介:「平和する」って言い方を俳句の中で遣うのは感心しないし、「釜おなじ」で意味を分からなくしてしまっているように思う。
あずさ:「平和」「そら豆」「御飯」「おなじ」、4段付きにより逆選。ひとつの言葉から受けるイメージというのをきちんと把握して欲しい。どれもこれも似通っている。似通っていることに安心しているのであれば、これはほんとに平和そのものだわさ。
つっこみ!

夏近し熱く巨きな尻がある   蘭丸

薫 逆選:吐無 

啓造:うーん、蒸し暑さがたちこめますね。
千野 :<夏近し>に<熱>を配するこの神経。逆選の価値すらない。
薫:「夏近し」に期待感昂まるか?
鉄火:付き過ぎかもしれないけど、尻の存在感の方が勝っていると感じました。
吐無:そのまんま。大きな尻そのものが暑苦しくって、勘弁してほしい。
健介:「熱く巨きな」と形容されても何ら具体的ではない。男か(想像したくはないが)女か、それすらはっきり分からない。動物の尻ってことだってありうるし。

六月の濡れた砂の本よみかえす   天乃晋次

安伸 逆選:しんく 

千野 :<六月の濡れた砂>によく似たなんかのタイトルがあった、というのはともかく、ボルヘスの『砂の本』のほうを思い出して、しかも<よみかえす>などというあってもなくても同じ、5音余ったから入れました的処理に立腹。ボルヘスの『砂の本』を知らずにやったのなら今回にかぎり見見逃すが、もし知っててやったのなら(せーの)「訴えてやる〜」ってぼくももう古い。
しんく:「六月の濡れた砂」という本をよみかえすという状況説明に終わっていますね。
泰之:「濡れた砂」というと八月を思い出します。「六月」は動くのではないでしょうか
安伸:『六月の濡れた砂』というのが本のタイトルだとするとそこまでだが、この句の表現はそこにとどまらない。『砂の女』みたいに砂を基調とした本かもしれないし、砂でできた本かもしれない。いづれにせよ、よみかえすたびに濡れた砂のリアリティーが甦ってくるものでなければならない。
健介:カラオケの映像でこの映画の場面が流れた時にはとても刺激的で興奮した。ところでこの句ですが、季語としては不充分という意見はあるでしょう。季感があるかどうかもギリギリのところです。僕はすれすれセーフだと思いますけど。
隆:八月の濡れた砂なら映画です。

鯉のぼりあげれぬ体わたしの性   糸日谷麻衣子

斗士 逆選:匙女 

啓造:この作者は意外と、もと男だったりするかもしれない。
千野 :ナルシストを演出するまえにそのら抜き言葉をなんとかして。ヴィジュアル系路線だけどイマイチ綺麗じゃないアマチュアバンドのヴォーカル、しかも鼻毛出てる、て感じの俳句。逆選の価値すらない。
満月:女に生まれたってこと?「わたしの性」と言われても。。ここにら抜きは合わない。
匙女:使い古しのジェンダー観。ある意味共感できないこともないだけに残念だ。
斗士:肉体(および精神)の閉塞感を、「鯉のぼりあげれぬ体」とは面白い。好感が持てる。「わたしの性」が若干生っぽいが。。。
健介:「あげれぬ」という“ら抜き言葉”には私は反対です。この句は“性同一性障害”(と言いましたでしょうか?)のことが詠まれているとも解釈できるのですが、なかなか重い問題です。という程度の認識しか正直なところ持てません。申し訳ない…
隆:「ら」抜きコトバ、まだ抵抗があります。
あずさ:鯉のぼり? んなもんあげて何になるんだ? ところで聞くところによると女性には「男根願望」があり、「立ちションベン」に憧れているらしい。わたしはだいたいちょこちょこっとフったくらいで、んなもんが乾くのかどうかがとても不思議だった。従弟に「乾くの?」と質問したところ、「乾かない」らしい。。。。羨ましいかね?(余談:わたしの友人は夫に「ちゃんとペーパーで拭く」ことを強要している。)

その他の句

勃起せる松の幹あり青月夜   桐原匙女

啓造:桃山時代の狩野なんとかという人の描いた松の障壁画を思い出した。
千野 :<勃起>程度の語を「売り」にしている退屈感がある。違ってたらごめん。下五は「ま、この程度書いとけばいいか」て感じが見える。「あり」はまったく不要。てことで「松の枝」しか残らない。
健介:“松の芯(しん)”ならば「勃起」というイメージと結びつくかと思う。でも「勃起せる松の幹」となると、意味の上からもイメージし難くなる気がする。<勃起せる松の並びし青月夜>などとする方がむしろ読み手に伝わり易いかもしれない。

万緑にピカソが潜む夕刻頃   松山けん太

啓造:「万緑にピカソが潜む」は納得できるが、「夕刻頃」にインパクトと必然性を感じなかった。
千野 :<刻>といっただけでじゅうぶん<頃>の「アバウト感」があるのだから、いわゆる馬から落ちて落馬というか、きょうの今朝の朝の朝食のごはんというか、しかもそれを戦略的にやっているとも思えない。天然だろう。
健介:「夕刻頃」は(ゆうこくごろ)と読むのでしょうか? だとしたら無意味な字余りだし、他に本当は適切な読み方があるのかもしれません。どなたか私に教えてください。

水玉のネクタイ絡む蜥蜴追う   べる

啓造:すいません。よくわかりませんでした。
千野 :2箇所で切れている(と思う)。口語調のばあい気にならないケースもあるが、これは<蜥蜴>が<追う>のか<蜥蜴>を<追う>のか意図不明。ただ言えることは、どっちの解釈でもそれほどおもしろ(くな)さにかわりはない。
満月:水玉模様の蜥蜴だったのでしょうか。それとも・・
健介:中七までと下五との関連がまったく見えてこない感じでした。

宇宙独楽倒れる日来れば地球忌   紫藤泰之

啓造:ちょっと、理に落ちたのでは。
またたぶ:オチてるやん。
千野 :<地球忌>って語を思いついたのが売りなのね、はいはい。ことしは1999年ですしね、と句評で言ってもらいたいと、そういうことですね。はい、言っときましたからね。満足?
満月:理屈。
健介:「宇宙独楽」とは懐かしい。でも内容はちょっと大袈裟にし過ぎか。
あずさ:地球儀。あ〜あ。

雲の名を問へば嶺てふ戦前日和   千野 帽子

啓造:「戦前日和」は面白い造語ですね。
千野 :(自解)謙遜でも自己愛的自己嫌悪でもなく言うが、ダサくて退屈。どうしても手持ちの句がなくて、2年前の、俳句はじめたころの句を出してしまった。失笑は覚悟の上です。それにしてもこんな句を出すなんて、出句のときになにを考えていたのだろう。自分が許せぬ。以後気をつけます。
健介:「戦前日和」とはまた随分と大まかな括りの回想句ということになりましょうか。

丹沢に女単独のやぶれ傘   秋

啓造:この主人公は美人なのだろうか?
千野 :これ音数からいって<単独>と書いてひとりとか読ませようという腹だな。世の中がJ-POP進化論だJラップだテクノだハウスだJビーフ入りハウスククレカレーだといってても、こういう、運命と書いてさだめ、的なド演歌って滅びないんだろうなあ。だってその手の臭いルビって小室氏も得意としてるみたいだしね。しかし火曜サスペンス入ってるよな。逆選の価値すらない。
健介:いまどき「やぶれ傘」ってリアリティーが無い感じがしました。まして「女」だと。
隆:任侠映画の世界、昭和残侠伝やぶれ傘。

湿らせた紙や母送る筍   城名景琳

啓造:これは筍の乾燥防止のため?に「母」がなした木目細かな心遣いと読むべきなのだろうか?
千野 :こういう<母送る>みたいな「日本語が多少変になっても俳句にドラマ詰めこみたい病」って、なんだろね。詰めこむほどのドラマでもないしね、これがまた。逆選の価値すらない。
健介:切れ字「や」は単に音数合わせをするためのものではないのですから、いくら何でもこの遣い方は下手過ぎる(失礼ながら)と思いますが。<母よりの荷や筍に湿し紙>(実は私もあまり自信がないのですが)せめてこのくらいの遣い方をしないと…
つっこみ!

猫がゐる夏の扉はどちらかな   しんく

千野 :<夏>に<扉>を配するのはだれかのSF小説や初期松田聖子などでもうおなかいっぱい。でも句の形は好きだ。
健介:両方開けてみちゃえば? なんてね。

養鶏場見下ろす夏やバドミントン   うまり

千野 :三題噺。
健介:中七まではイイ感じだったが「バトミントン」がちょっと唐突で解らなくなった。

ダミ声の神は渋谷で熱くなる   山口あずさ

千野 :ハチ公口のスピーカーズコーナーのこと? それとも、ふだんは宇多田とか深田恭子とかが出るスペイン坂スタジオとかタワーレコードのスタジオに笑福亭鶴瓶が出てるのか?
満月:<熱くなる>が慣用的意味に使われているので<ダミ声の神>も日常の範囲を出なくなった。
健介:「ダミ声の神」なる周知の人物がいるのでしょうか? 知らなかったけど。

シ−ツには赤い血がつく春の傷   凌

逆選:秋 

啓造:ちょっとなにをれんそうしてしまうところがなにですな。
千野 :<には>の<は>には限定というか、そういうニュアンスがあるのだから、「じゃあ枕にはなにがついたんだ?」という質問を誘発してしまう。<血>が<赤い>ときは、わざわざ言う必要ない。青かったり黒かったりしたのなら色を報告してほしいけれど。<春の>でエッチ感を出したつもりだろうか。<傷>は意味深を装ってじつはただの種明かし。エッチ的なものを<傷>と呼ぼうが、ほんとにただの<傷>だろうが、ここにこの語があること自体退屈。
秋:とても汚いものを見せられたという感じがします。
泰之:宇宙人でも無い限り、血の色は赤では。わざわざ「赤い」と置くだけの理由が見えません。
健介:「血」が「赤い」のは当たり前とも言えるし、これが<青い血がつく>だったりしたら考えさせられもするが…。そんなことよりも「春の傷」などというお茶の濁し方が全く以て頂けない。作者のこの及び腰の姿勢が、読み手に嫌悪感にも似た印象をもたらすことになっていると私には思えてならない。“照れ”られても読み手はシラケるだけでは?
あずさ:松浦理英子「ナチュラルウーマン」のファーストシーンは、レズビアンの恋人の生理で汚れたシーツを洗うシーンから始まる。汚れものを他の人に洗って貰うと言うことは、すなわち支配されることであるというメッセージ。主婦ってコワイよね。この句と何の関係もないことは言うまでもない。

武蔵丸も来た サッチーの電車道   鈴木啓造

逆選:麻衣子 

千野 :『ルックルックこんにちは』の画面の端っこに書いてある字。逆選の価値すらない。
満月:こんなに濃いキャラクターをふたつも・・・助けてくれ〜
麻衣子:正直、馬鹿っぽいというのは失礼だけれど、一瞬の世俗的なことを詠むのは嫌いだ。
健介:私の知っている意味での「電車道」という言葉の遣い方とは違うようなので、意味がよく分かりませんでした。
あずさ:問1.サッチー問題における世間の法界悋気について100字以内で述べよ。

ポップコーンのようなタンデム春満月   またたぶ

逆選:健介 

啓造:「タンデム」ってなんですか?
千野 :<タンデム>までは、直喩のよしあしはともかくとして、とくに不可はないが、ダメ押しのようなこんな季語を持ってくるなんて、手だれが初心者受けを狙ったとしか思えない。技術あるのにわざとわかりやすすぎる句を作った厭味がある。
健介:「ダンデム」ってオートバイの二人乗りを意味する場合もあるから「ポップコーンのような」とはつまり、瓜二つの双子がペアルックでオ一トバイの二人乗りをしているとでもいうことか? 考えてみればそれはそれなりに可笑しい。でも“ふつうの人”にそのような解釈を期待できるとも想えない(私って異常?)。故に普通性の面で逆選。

夕焼けのキャッチボール父の掌広し   蘭丸

逆選:凌 

啓造:父子愛。ヒューマンな味わい。「父の掌広し」にもうひとひねり欲しいところ。
またたぶ:「こんなストレートな句が採りたい」て賛辞が殺到しそう。でもストレート過ぎてすれた私には突き抜けてしまう。この発想がまだ詠まれてないほどこの世界は甘くない。(←しかし例示ができずにいる)
千野 :芸のない郷愁というか、ベタすぎ。
満月:明星チャルメラ〜
凌:向日性支配の川柳が堂々巡りしている世界。
健介:私も以前これに似た舞台設定で<秋入日路地に野球少年と父>と詠んだことがあり、どうも類想が多いみたいです。

目借時フリーズするかパソコンや   べる

逆選:安伸 

千野 :不可だらけのただごと。
満月:イメージ力、詩力がフリーズしている。
安伸: 逆選候補はいくつかあったが、いちばん脱力度が高かったのがこれ。でもそれだけインパクトがあるのかも。
健介:「パソコンや」は“パソコン屋”ではないんですよね。以前からかなり話題になったあの「フリーズ!」とは違いますでしょうし…う〜ん…解らない。
つっこみ!

バスタオル一枚だけの愛撫かな   足立隆

逆選:満月 

千野 :媚び媚び〜。やらしい媚び。ダマされないぞ。
満月:逆選にしたい句はたくさんあった。こういうのはアダルトサイトとやらで需要があるのか。どう見ても自分の経験の暴露としか思えない。青俳もそういう場所と思われてしまったのか。。。
健介:内容は好き。表現がいまいち。私なら……いいコト思いついたけどやっぱ言わない。
あずさ:要するにバスタオルで身体を拭いたってわけですよね? 自意識過剰。あるいは期待しすぎ。

戯言を 並べる政治家 身を結ばず   AIR

逆選:斗士 逆選:泰之 逆選:啓造 逆選:肝酔 

啓造:川柳的色彩?
またたぶ:これはいい。すぐ、国会へ送って貼ってもらおう。
千野 :<身>じゃなくて「実」じゃないの? なんて基本的なことはともかくとして、横山泰三社会戯評のようなこれだけのジジイセンスになると、逆に保護してやりたくなる。ほほお、一矢報いるわけですな、いわゆる庶民の立場とかいうやつから。で、「ワシって反骨の辛口ぢゃのう」とか思っちゃうわけだ。ふむふむ。逆選の価値すらない
肝酔:うーん、困りました。なんか誰でも言いそうな問題意識のようなものを、字余り定型にして、俳句になるとは思えない。句をつくりたいけど、どうしていいか分からない状態の人の作品なのかな。自分のことを棚に上げて言えば、やっぱり、紋切り型の台詞よりは、自分しかできないような言葉づかいを心がけるほうが句作りが面白くなると思います。
泰之:川柳とすれば、諷刺の毒がない。なぜか一字空いているが、標語でもない、では俳句なのか、、、、!?
斗士:こんなこと、いまさら言われても。。。あと、一字空けも不可解。
健介:理屈になっているってことよりも単なる常識。時事川柳にもならない。第一「実を結ぶ」ではないのか。
あずさ:結局、逆選の無駄遣い。(;;)←泣く。

許してください 狭い日本 車どこに止める   AIR

逆選:隆 逆選:蘭丸 逆選:薫 逆選:一之 

またたぶ:ポリネシアまでとんでってください。ご無事で。
千野 :横山泰三社会戯評のようなこれだけのジジイセンスになると、逆に保護してやりたくなる。ほほお、一矢報いるわけですな、いわゆる庶民の立場とかいうやつから。で、「ワシって反骨の辛口ぢゃのう」とか思っちゃうわけだ。ふむふむ。車を持たない、という選択肢ははじめからないわけだな。逆選の価値すらない。
満月:外国人の片言の言い訳。
薫:これはちょっと、許せない。
蘭丸:これは、いくらなんでも俳句とは言えないのではないでしょうか。
健介:こいうことを言う人が迷惑の元凶。
隆:理解できぬ、洒落も、詩もない。
あずさ:(;;)←ひたすら泣く。
つっこみ句会選句評へ