第19回 青山俳句工場向上句会選句結果

(長文注意!)

青山俳句工場の夜はどんな夜?
2000年も無事に開け、向上句会も3年目に突入です。
一句題詠、一句自由詠をしばらくつづけてゆきたいと思います。
今年も引き続きよろしくお願い申しあげます。

向上句会とりまとめ:山口あずさ


投句:宮崎斗士、白井健介、中村安伸、後藤一之、千野帽子、満月、凌、いしず、桜吹雪、しんく、明虫、またたぶ、越智、岡村知昭、林かんこ、山本一郎、小島けいじ、松山けん太、城名景琳、朱夏、足立隆、朝比古、鉄火、萩山、室田洋子、夜来香、輝、超走、あかりや、柚月まな、山口あずさ


全体的な感想

けいじ:自分は句の中に気に入ったフレーズがあると、それだけで採ってしまうんです。いつも、大体半分はそうですね。そういう意味では、今回は比較的選句に苦労しました。
まな:初めて参加しました。選句、むつかしいですね。でも他の人の俳句をじっくり考えながら読むのは楽しい。青山はすごくレベルも高くて、評も面白いと思います。過去の選句結果は全部読みました。いろんな人のいろんな見方、感想。これは混ぜてもらわなければ、と思い、ようやく参加を決心しました。(なかなか勇気が要ったのです)選句は、まったく好みで、自分にとって心地よいもの、(どうしたって好みでしか選べない気もしますが)うまいなあ、と単純に思ったもを選んでしまうと思います。それでもここで、いろんな俳句にであうことで、学ぶものが多くあるものと思っています。
超走:「逆選」制度は反対です。俳句歴の長い者ならいざ知らず、初心者には残酷です。投句者がどういう人か判らないこの場にふさわしいと思いません。
けん太:今回はどの言葉にボクが反応できるか、を考えながら選句しました。全体をみない、そんな方法は邪道なのかもしれませんが、でも結構、ボク自身が見えてきて。楽しかったです。みなさんの句がいつもとは違う輝きをもったのも事実です。
景琳:この句が理解できるのは,私以外いないわ,って思うようなのを選句。
朝比古:この句会のシステムは、よく出来ているといつも思う。もう少し伝統派の人も参加していると尚イイと思うのは、わがままなのでしょうか。
明虫:この句会は威勢のよい作品が多くて刺激になります。私もカラ回りしないよう自戒しつつ、少しカラを破ってみたい。
鉄火:ハチャメチャな句がなかったことをさびしく思う。
洋子:すごく迷いました。いいな、好きだなと思う句が多くて。選句って本当に難しいですね。
満月:青俳というところは実にマンガな句が多い。極道シリーズに続いて今回はゲシュタポ登場。他に薬局や薬屋、以前はあんパンも多かった。対極に自愛ものがじとーっと常駐。ここらでイメージが固定されてたまるか、という感じ。みなさん、もっともっといろんなの書こう!
:今回の句は読んですごく疲れる。勿論、それは私の精神状態が堕落しているからで、やっと選句だけさせていただいた。
帽子:今月は感想書けなくてごめんなさい。風流ぶってる句が全体の7割を占めているのに唖然としました。ねえねえ、俳句って風流なものだったの?
またたぶ:「夜」の題でこんなに「とってつけた」感があふれているようでは、次回の「不」が思いやられる。
越智:夜ひとことを詠み込むのはとてもむずかしいことでした。
健介::今回は“いくらなんでもつまらなさ過ぎる”という句がちょっと多かったのではないでしょうか、てなことを言ったからといって私をいじめたりしないでください。万が一そのような際には“ヒール軍団”のみなさま、ちょっとは私奴の味方をしてやっておくんなさい…どうかよろしく……ではまた──
知昭:悩んでばっかり……。お題「夜」は光景としてよく使っているせいかどの句もそれなりに処理していたように思います。句評を書かずすみません。
::先回もそうですが、逆先が難しいという状態。それはよいのかよくないのか、ひょっとすると向上句会の危機であるかも。

10点句

月見ればつめたくて当然だと思う   山口あずさ

特選:洋子 特選:けいじ 斗士 超走 知昭 まな あかりや 帽子 

洋子:うーん。本当にその通りだと思うんですよね。今の私の琴線に触れました。
健介:何が?
あかりや:何がつめたいのかわからないが、昨日月を見てつめたくて当然だと私も思った。
けいじ:月の冷たさは事実そうだ。それを見て、当然と思える心境、感受性は好き。
まな:月がつめたいんでしょうか。それとも誰かがつめたいんでしょうか。わたしとしては、後者として解釈しました。月をみて、ああ、あの人がつめたいのは当然ね、と。個人的に月そのものをつめたいとは思えないのです。そして「つめたくて」とひらがななのが好き。
超走:今回の句稿の中で一番興味がありました。何を「つめたい」と言っているのかわかりませんが、拗ねているような、冷めているような、書き方が面白かったのです。しかしこういう書き方に溺れている甘さがあり特選には押せません。
斗士:何がつめたいのか限定してないところが好。広がりが心地いい。
満月:は、、、そうですか。。。それはそれは。。
つっこみ!
あずさ:月を見て、じぶんが冷たくて当然だと思っているナルちゃん俳句でないとは言い切れないような気がするが。。。他人につめたくされて当然なわたしとも思えないのだがいかがでしょうか?<月みてもつめたくされて当然だとは思わない>(←俳句か?^^;)月がつめたいのでは、つまらないし。
凌:私も月見れば冷たくて当然だとは思うが、こうは書けない。もっとほかの読みをしろ、と言われれば困ってしまうが、まあ月と人間が材料としてあればドラマには事欠かない。
満月:なんだかこの文体が・・・別に散文文体でもかまわないんですが、「〜すれば〜だと思う」という言い回しを俳句で使うには中身に飛躍がなさ過ぎる。ひとえに月の力でこれだけの支持を集めたような気がするのですが。でもこの句、月の完璧な冷たさに出会って、「彼女が(他人が)」自分につめたいのは自分があまりにもぐじゃぐじゃだから、、と言っているような気がして。なんだかがっかりした気分しか残らなかったです。
この句の作者:それほど深く考えて詠んだわけではないのですが、みなさんのご意見を伺って改めて考えてみると。。。月を見れば、じぶんが冷たくしてしまったのは、当然だと思う、と言って、なおかつぐちゃぐちゃしているのかも。。。しれません。あと、今気が付きましたが、ナルとルナって、逆さまになっただけだったのね。

9点句

街を出て慶応四年の夜にいる   鉄火

特選:景琳 特選:越智 しんく いしず 隆 洋子 帽子 

しんく:明治元年ってこと?
越智:厭世観が漂っていて好き。
景琳:タイムカプセルに乗れた感触が,私は好き。
満月:なんだかすごいことに出会っているみたいだけど、やっぱり<慶応四年>は具体的な映像として結ぶにはいろいろありすぎてむずかしい。
洋子:何か惹かれる句です。「慶応四年」を調べましたよ。
つっこみ!
あずさ:幕末っすか。慶応四年がいつのことだかピンと来なかったわたしは見落としてしまいました。(←アホ)愛する土方歳三さまがまだ生きていらした頃なのね。^^;。ちゃんと読むと、ぐわぁ〜んとしたねじれがあって、いいですね。
斗士:「街を出て」の漠然とした感じが、どうにも不可解だった。もっと具体的な設定がほしい。「慶応四年の夜」なんて、いかようにも面白く膨らませそうな題材なのに、もったいないと思った。
満月:私も同じ感想です。「慶応四年」に甘えすぎていて、自分で何かを感じさせようと努力した跡が少ない。なんか、うまい人が手抜きで作ったみたいな。。。

眠くなり茶の花に帰りたくなる   超走

特選:帽子 特選:安伸 特選:あかりや 桜吹雪 一之 明虫 

あかりや:寝る事を今日の死とするならば、その辞世句にふさわしい。そして、明日の昼<茶の花におのれ生れし日なりけり 万太郎>を思い出す事だろう。
桜吹雪:「眠く」「帰りたく」語調にリズムがある。眠ると茶の花になってしまうようなイメージも鮮やか。
満月:中七下五はへんなおもしろさがあるのに、なんで上五で原因の説明をしたんでしょう。ここが勝負所だったのにそこですべてぶちこわし。
明虫:茶の花は眠い感じ、といったのを少し長く言っただけなのかなあ?でも採りました。
つっこみ!
あずさ:茶の花の具体的映像がわたしの中になくて採れなかった。慶応四年といい、知識不足がわざわいしている。。
満月:えっとお、茶は椿の仲間の花木です。花はとても小さな・・そうですねえ、、野茨のような??感じといったらいいかな。椿はなんと薔薇科なので。でもこの句からはそういった実際の茶の花は浮かびませんでした。どうしてかなあ。。

8点句

ヒト絶えて鬼皓々とウラン焚く   林かんこ

特選:鉄火 特選:輝 安伸 隆 洋子 明虫 

健介:「鬼」ならきっと「ヒト」のように杜撰な事故は起こさないでしょう。
鉄火:この句のスケールには神話性すら感じる。上手いとか好きとかよりも、見事な句だなと思った。
満月:ヒトと鬼の対象があまりにくっきりしていて、安直な創作童話みたい。ヒトが鬼に変化(へんげ)するのは個人的に大変好みだが(^^;この句からはそういうふうには思えない。残念。
明虫:意外性があって、でもリアルです。ヒト絶えて、と説明的なのが川柳との境界線を感じました。
洋子:「皓々と」がこわい。原発の管理って結構杜撰だったんですね。鬼が手を出すまでも無く自滅しそうだなヒトは。
つっこみ!
あずさ:【皓皓】コウコウ1)明るくてあざやかなさま。2)潔白でけがれのないさま。「安能以皓皓之白、而蒙世俗之塵埃乎=イヅクンゾヨク皓皓ノ白キヲモッテ、世俗ノ塵埃ヲ蒙ランヤ」〔→楚辞〕3)心がむなしいさま。4)川などが広々としたさま。(広辞苑cd辞書より。)
あざやかな明るさ、イノセント、そして虚しさ。「皓皓」って、こうして見るとすごい言葉ですね。明るすぎてハレーションを起こした世界で生きられるのは鬼。。。。以前見た映画に、放射能を浴びてもまだ生きている化け物のような人間。あるいは化け物として生きる人間というのが描かれていた。映画のタイトルは忘れてしまったけど。。。鬼と言ったら他人ごとというか、他鬼ごとのように聞こえるが、皓々ととウランを焚いているのはわたしかもしれない。それにしても、アトムの妹はなんでウランなんだ。。。
鉄火:この句を見たとき、鬼が無邪気に、嬉々としてウランを焚いている姿が目に浮かんでしまった。イノセントに納得です。それからやはり、ウランを焚くという発想はすごいと思う。人類の歴史は常に何かを焚いてきた歴史なんだなと気付かされたし、焚くことでヒト以外の種を絶やしてきたのかもしれないというところまで思いが至った。子供の頃に住んでいた家が五右衛門風呂だったせいか(田舎なので)、この句は妙に実感してしまうのです。
凌:私も八割方鉄火さんのご意見に賛成です。「鬼皓々とウラン焚く」のすごい情景の奥の、人影もない荒涼とした背景までもが眼前に浮いてくる。だからやっぱり私は「ヒト絶えて」がいらない。
満月:まったく同感です。「街絶えて」とかだったらなあ、、、ということでついに採れなかった。
鉄火:うーん、なるほど。私の中ではこの句に対する評価は変わりませんが、凌さんと満月さんのコメントで、ちょっと自分の俳句眼が広がった感じ。やはり、つっこみ句会にも参加してみるものです。
あずさ:この句、やっぱり時事俳句ですよね?単なる時事に留まらずに一ひねりというのは効いていると思うんですが、そこらへんはどうでしょうか?
満月:うん。人間の本質的な鬼性みたいなものを描き出そうとしていてそこがすごくいいと思う。なのに、この鬼をヒトの変化(へんげ)したもの、人間の本質として書かなかったためにひとごとの世界にしてしまった。ほんとはアナタが、ワタシが鬼なのよ。とはっと我が身に思い至らせて欲しいのです。
またたぶ:私には全く平板な(時事…とは限らないが)句にしか見えません。「晧々と」「鬼」「ウラン」など、インパクトの強い語を使った割に句全体の深みが足りないと感じます。上のコメントはやっかみや謗りではなくて、句評に幅を持たせるための老婆心からですので、ご理解ください。>作者の方
  「石の上に 秋の鬼ゐて火を焚けり」富沢赤黄男
これと比べるのは酷かもしれませんが。
満月:うーーん、赤黄男のその句は作者自身の内なる世界と外の世界との亀裂から生まれているように思います。<ヒト絶えて>句は現代の社会にあるコワイところを外的に描写していると思う。はじめから句の生まれた場所も発せられた対象も違うと思います。自己と深く対峙した句ははたしかに深みがありますが、かといって今の時代にこういうものが生み出されるかというとちょっと違うような気がする。これ、カリカチュアなんですね。そう言う風に世界を見る(描く)のが今の時代感覚のある部分を表しているように思える。私はこれはこれで現代なりの社会詠として骨太に描けていると受け取っています。で、それが単なるひとごとにならないために、自分自身が鬼になるんだぞ、鬼性をもってるんだぞ、コワイ、という要素がぜひとも欲しかったわけ。
あずさ:<石の上に 秋の鬼ゐてウランを焚く>なんてどお?ずっこけるか。。。富沢赤黄男は個に過ぎるし、<ヒト絶えて>は、ヒトを絶えさせたばかりに、ヒトから、あるいは、「個」から離れてしまったんでしょうね。
またたぶ:満月さん、こんばんは。句会である句を採ったり、採らなかったりというのは同じ土俵にのせて比べることではないでしょうか。「鬼」という共通語句もあることだし。でも、満月さんの言ってることもわかるので、共時の軸に絞りましょう。「ある部分」って何ですか?野暮?そういうのを言葉で明示して、句を吟味するのも「つっこみ句会」の一目的だと思うので、よければ教えてください。「狭い個か、普遍性か」というより、「浅い」という印象でしたね、私には。なぜか?「晧々と」が個人的に「要注意語」なんだと思う。いかにも「どうだ、晧晧でしょ、でしょ」のようなボリュームがあるので、うまく取り扱わないとさむい。その点「あおあおと」と同類。自分でも使ってみるが、なかなか決まらない。
満月:いや、同じ土俵なんです。が、読み手が一句とどういう関わりで読むかというのは句によって喚起される部分の違いで変わってくると思う、ということを言っています。時代性だけを云々とはちょっと違うんですが。。戦前は知りませんが、少なくとも敗戦からしばらくの間、時事問題に関して大まじめに真っ正面から戦うということが行われて来たように思います。数々の労働運動、社会運動、その他。・・・いつか時代はバブルへ、そしてバブルの崩壊へ、と来て、世の中に無力感が大きく拡がっているように思えます。社会的な運動はやはり盛んですが、以前の食うや食わずのところから起こった真っ正面からの切実な戦いは少なく、時事に対する意識そのものが大きくかわってきている感がある。たとえばTVなどのメディアの力の拡大で、なんでもがドラマ仕立てになったりのぞきの対象になったりしてしまう。どうもそういう彼らの見方や感じ方を聞いていると、マンガやバラエティを見て楽しむのと同じ位置に現実の深刻な問題を置いているように感じられることがあります(マンガにもいいものはたくさんありますが・・・ここでは軽い娯楽やからかい半分というくらいの感じで)。そういう時代感覚の中では、この、ひとつひとつをやや大仰な道具立てにしたこのような書き方はむしろ大いに有効なのではないかと。
またたぶ:確かに「マンガやバラエティを見て楽しむのと同じ位置に現実の深刻な問題を置」くという風潮と通じている句に見えます。で、そこから「ひとつひとつをやや大仰な道具立てにしたこのような書き方はむしろ大いに有効」という評価には私は至りません。そこが、受け取りの違いかな。
満月:どうもまたたぶさんは「皓々と」に抵抗があるようですね。私はありません。「あおあおと」はたしかに抒情どっぷり、自己陶酔どっぷりの方向へ行きやすいと思います。なぜなら「あおあお」は和語(やまとことば)だからです。ニッポンの抒情と密着している。対して「皓々」は漢語。漢詩に登場する語なのですね。色も白。日本的な抒情より漢語的なきっぱりしたものを感じるのです。このへんの感じ方は個人差がありますからいたしかたありませんが、少し漢詩を読んでみられると、その辺の感触の違いが感じられて、「皓々と」・・ああ、漢詩的だなあ、となるのかもしれません。まあ、ですから逆に気取っているとは言えるかもしれない。そこがまた私のカリカチュア的な印象を増幅したのかもしれません。しかしその語を鬼が焚くウランに配したところは、なにかこの鬼が気高くさえ見えて私にはけっこう好ましいのです。
(またたぶ:「狭い個か、普遍性か」というより、「浅い」という印象でしたね)
最後にこのことに触れて置きます。私が書いたのは「狭い個か、普遍性か」ではなく、個を深く突き抜けて普遍へと至ろうとする方法か、物事を客観的に見ることによりそこにある普遍を掴もうとする方法か、ということです。もとより作品の出来不出来はこれにかかわりありません。
またたぶ:「漢語の方がきっぱりしていて、和語の方がどっぷりしている」という点、一般論としては私も同感です。ところで、「あおあおと」は思いついて何気なく挙げたんだけれど、この句で「皓々と」を「あおあおと」に置き換えてみたらどう感じますか。私はそちらの方がむしろ諧謔を感じます。「皓々と」の受けとしては、「照る」なんかが一番手だけれど、「焚く」も少し距離があるとはいえ、近い。「あおあおとウラン焚く」だと、それこそ、和語の「どっぷり」と「ウラン焚く」の対比が鮮やかで、「お」と思わせられる気がします。「晧々と」ではどうしても感じられなかった凄みが出てくるように感じます。
満月:ふうーーーむ。なんだか優しくて悲しい鬼がメランコリックにウランを焚いている・・・これはこれでまた別種の印象がありますね。この鬼はやはり人間でしょう。(余計ヒトがいらない(^^;)強さの皓々か。弱さのあおあおか。
またたぶ:(満月:私が書いたのは「狭い個か、普遍性か」ではなく、個を深く突き抜けて普遍へと至ろうと>する方法か、物事を客観的に見ることによりそこにある普遍を掴もうとする方法か、ということです。)
上発言は観念としてはわかった気になったんですが、「鬼性」が私にもあるんだと気づかせてほしかったと言うような意味のことを書かれましたね。それとの関連が私にはわかりません。原句との絡みで教えてもらえますか?
満月:具体的に行きます。例えば自分の内面に深く入り込んでいったときそこに鬼性を認めた、とするなら、「自分が鬼になってウランを焚きたい」となりそうな気がする。一方、この句の世界は鬼がそこでウランを焚いている光景の客観的描写です。で、このままではヒトという生物は核爆発で絶えてしまって、現在は鬼という違う生物がウランを焚いて生きている、というように見えてしまう。ヒトと鬼が対置的に置かれているのでそう感じるのだと思います。ここででも、私が読みたかったのは、人間の中に鬼性を見た、という部分だった。作者の意図はこのさい無視します。で読み手が自分を重ねられるのは、ヒトか鬼か。・・両方書かれていればそりゃあヒトの方に大方なるでしょう。、ヒトが出てくると読み手が自分を鬼に重ねられない。自分がやがては核物質渦巻く廃墟で鬼としてウランを焚いて生きるんだ、自分にもそういうところがあるかもしれない、そういえば・・・・おーーコワ・・・・(^^;という感じを催さない憾みがある。ここが私の欲しかった部分なのですね。あくまで私の、です。で、客観描写の場合、読み手が自身を重ねる対象はもっとも効果的な一点にしぼって欲しい。もちろん性格の違ういろんな言葉─たとえばウランに自身を投影しても一向にかまわないと思いますが、ヒトと鬼は読み手の意識を分散させ、曖昧にするように思います。
またたぶ:「ヒト」ではまずい、というのはごく初めの段階から皆さん指摘されていました。私も同感です。私は「上五」はまずいというのを前提にして、さらに他にも不満があるということを申し立てました。おかげさまで、この句を支持される論点も理論としてはだいぶわかりました。個人的には依然「この句を評価しない」少数派のままですが、賛美一色?の中に一石を投じておいて、無駄ではなかったと思いたいです。満月さん、懇切な示唆をありがとうございました。

薬屋はやや柔らかい膜である   凌

特選:けん太 超走 景琳 安伸 まな 隆 帽子 

けん太:「薬屋」が「膜」であったとは。どんな膜かはイメージできませんが、何か新しい概念のようで。ただ、「やや」が理屈ですね。もっと情緒へひっぱってほしかったなあ。
まな:どういいのか説明できないんですが、気に入りました。柔らかい膜、って、なんとなく。
景琳:変な「薬屋」だけど,ふにゃらかさに引き寄せられて。
超走:口当たりがよく目立つ作品ですが「やや柔らかい膜である」が曖昧です。「薬屋」ではこの曖昧さを押さえきれておりません。感性に惹かれてとりました。
満月:青俳はなぜだか薬局や薬屋が好みのようだ。まだ出た、という感じ。私はむしろここでは「服み薬は」あるいは「薬売りは」という感じがするのだがどうだろう。不思議で懐かしいような、なんともいえないイメージではある。
つっこみ!
あずさ:オブラートと思ったのはわたしだけ?
満月:はーい、私も^-^; オブラートのカプセルを想像しました。感想に書いたように、ここが「服み薬は」とか「薬売りは」であってほしかったのはひとえにそのイメージのせい。

紅葉散る左手首に夢の痕   小島けいじ

凌 隆 萩山 超走 健介 一之 またたぶ けん太 逆選:満月 

健介:う〜ん…「夢の痕」ときましたかぁ……採っちゃおッ。
けん太:ふつうの句なのですよね。でも、なぜか反応してしまった。「左手首」と「夢の痕」の組み合わせに青春性みたいなものを感じたのかなあ。ボクもよくわからんのです。
またたぶ:耽美過ぎてイヤミだ。でもいい句は採らなくちゃしようがない。
超走:いささか類型感があるが「夢の痕」が決まっている。
満月:ああ、自愛の極致。自傷痕らしい左手首に<紅葉散る>なんて「血が出たんですよお」と言っているみたい。<夢の痕>がいやんなっちゃうほど酔っている。
つっこみ!
あずさ:世の中いろんなHPがある。わたしはかなりやばいところばかり覗いているのだけれど、今にも死んでしまいそうな人の集まるHPというのがあって、昨夜の自殺未遂の話が詳細に載っていたりする。観客を必要としているのでは?(実際必要としているのだと思うが。)と思わざるを得ない場合もある。この夢の痕は、ちょっとわたしには怖すぎる。間違って死ぬ場合も、ないとはいえないのだしね。
満月:自傷癖というのがあって、人の注意を引きつけたい、それでしか引きつけられない寂しい人が罹るらしい。。そしてまたそれに酔ってしまっているようなこの句は、見るに耐えない。つまり人の鑑賞に供するものではないと思います。
あずさ:寂しい人と言って突き放してしまうつもりはないのですが、やっぱり「夢」ってこたぁないだろう。と思う。自傷癖というのは天然自然に出てくるものではなくて、それはそれで理由があって、癒される必要があるのは間違いのないことだと思うのです。だから余計に「夢」と飾ってもらっては困るのね。
またたぶ:この句が「自傷」だと、どうして限定できるんでしょうか。そう読めるという人にそう読むなとは言えませんが、何かそういう芸術上の「お約束」みたいなものがあるんでしょうか。キレイ過ぎて反発食うだろうという予想はしましたが、こんなに叩かれるとは思わなかった。私は全く予見なく、字面通りに(具体的な意味に収斂せずに)受け取って、魅かれました。
あずさ:「左手首」って、やっぱり人体における自殺の名所なんじゃないだろうか。「頚動脈」だったら「夢」どころじゃないだろうし。「左手首」にキスマークは付かなんだろー。と思います。芸術上というか、自殺を一度でも考えたことのある身としては(←問題発言)、もう左手首と言えば、即自殺っすね。キレイ過ぎるというよりは、正直「怖い」。確かに夢の痕なんですよ。きれいな赤い血が流れる。自殺がキレイなのは、ある種、付きすぎと言ってもいいかもしれない。
満月:えと、では「左手首」と限定されていることについてはどうなんでしょう。6音もの音数をつかって句のど真ん中に入れられた重要なポイントでもある言葉だと思うのですが。これを解釈しないで読む、ということですか?私はこれはもう作者が自傷痕であることをわかって欲しいと叫んでいるように感じましたが。。別に俳句としてのお約束事はないと思いますが、ごく一般的に「左手首──ああ」となりませんか?もっとよい解釈があるでしょうか。百歩譲ってこれが自傷の句でないとして、「紅葉散る」と「夢の痕」とのあまりに類似的イメージは句の酔いを深めこそすれ、世界を拡げるという印象を受けませんでした。そこで一句の中心となってこの句を決定づけているのが「左手首」だと。で、話は上に戻るというわけです。
またたぶ:17文字の中ですから、どの語もゆるがせにできないと考えています。真中であろうと、どこであろうと。私ももちろん解釈して読みます。確かに「左手首は自殺の名所」かもしれません。でも、白状しますが、そう言われるまで私は全く思い至りませんでした。鈍感ですみません>作者の方。思い至らずに読むと、「夢の痕」って何だろう???って、すごく想像が巡らせられたのです。(うぶすぎましたか)今でも「自傷」の解釈を避けて、この句を味わえたらと思います。「自傷」と確定したら、私の読みは崩れてしまいます。
(満月:「紅葉散る」と「夢の痕」とのあまりに類似的イメージは句の酔いを深めこそすれ、世界を拡げるという印象を受けませんでした。)
類似と言えば、類似でしょう。そこについては甘かったと思います。「夢」は下手に扱えば「ナル」へまっしぐら、ですしね。
あずさ:(またたぶ:確かに「左手首は自殺の名所」かもしれません。でも、白状しますが、そう言われるまで私は全く思い至りませんでした。)今別件でまたこちゃこちゃと考えていることがあるのですが、思い至らなかったことの健康さと、思い至ってしまうことの不健康さ(不健全と言ってもいいけれども)というのがあると思います。で、このときに、「思い至らない」ことの健康さを大事にするためには、「思い至らない」でいるイノセントな状態、心地よい状態を維持するのではなく、やはり「思い至ってしまう不健康さ」に思いを馳せる必要がある。要するに、健康な人はどこも痛くないのです。だから当然、不健康な印象を押しつけられることにより拒否反応を示す。しかし、いったん病気に罹った者は、不健康であることにより敏感になります。(と、これはJR東日本のCMで駆け抜ける全裸の少女を見て、ぎょっとするかしないか、という話が背景にあります。<ご参考まで。)

7点句

鏡拭く林檎もぎ足りない夜は   岡村知昭

特選:桜吹雪 特選:しんく またたぶ 明虫 満月 

しんく:何かやり残したことを思いだすのは鏡を拭いてる時かもしれない。
またたぶ:少し荒削りなところを残したのは計算済みか。「原罪」感にもまたかと思いながら、ひかれる句。
桜吹雪:鏡と林檎が拭くという動作を紐帯にしておもしろい結びつき方をしている。その二つを拭くことが、相乗効果となって夜という題に輝きを与えている。いい句だと思う。
満月:登場人物は何故か毎日林檎をたくさんもいでいるらしいが、「鏡拭く」ことで代替できる行為なら「林檎剥き足りない」の方が私にはぴったりくる。とは言え、この非充足感、薄い不安感を伴う強迫的行為は日常の何でもないところにあって生を裏面から彩ってくれる。
明虫:林檎をもぐ経験はそうそうするものでないので林檎食い足りない夜、のほうがぐっとくるように思ったのですが。鏡のフラット感とりんごの食感(しゃりしゃり)がちょっと感応しているのかな?
つっこみ!
あずさ:この手の、「何かが足りない俳句」はわたしはいささか食傷ぎみ。これもかなりナルちゃんか。
満月:大正抒情メロディーっぽいところはたしかにある。いいかげんにしてよと言いたい部分も。どこだろう・・・やっぱり「もぎ足りない」でしょうか。私は「剥き足りない」の方がぴったりくると書きましたが、むしろ「剥きおおせない」くらいが少しははなれていいかな。非充足感を詠むのはいいんだけど、やはり定番的抒情メロディーであることはまちがいない。

木枯に追越されたる駝鳥かな   後藤一之

特選:凌 朝比古 桜吹雪 しんく あずさ 満月 

健介:類想感はあるけれど好きなタイプの句。
しんく:駝鳥が追い越されてるぐらいだから人間なんぞは・・・。
桜吹雪:従来の木枯の句のイメージをユーモラスに展開するその着眼点がおもしろい。
朝比古:主観写生。この世界は好みです。
満月:その駝鳥、私かもしれない。。。。一生懸命走ってても、木枯らし一号がふくといっぱいやり残したことがあって間に合わなくて泡喰ってしまう。それでもマイペースでしか走れない。こういう木枯らし、博多では「びったれおろし」というんです。ぐずぐずしていて冬の準備をしてないぐーたら主婦を「びったれ」といったらしい。やっぱり私のことだ(汗;)。これも<かな>がつけたし。
あずさ:大地を力強く走る駝鳥。木枯らしに追い越されている後ろ姿に哀愁が漂っている。
つっこみ!
あずさ:生まれ変わったら駝鳥に、と思っているほどわたしは駝鳥に親近感を抱いているのだが、この駝鳥句は、ナルちゃん度が低くて好感が持てた。
満月:この句につけた私のコメントの内、「これも<かな>がつけたし」という部分ははずそうと思います。ない方が私には好ましいけど、この句ではあってもいいかな、と。うむを言わさぬように一句の世界に引っ張り込んでしまう作用はしていると思う。なくてもいいと思えるところが気にはなる。
あずさ:<駝鳥なり>、だったらどうでしょうか。なんかぜんぜん自慢できないことを、それと知りつつ自慢しているような滑稽さが出てくると思うけど。木枯らしに追い越された駝鳥だぜ、いぇ〜い。みたいな^^!。


6点句

折り紙の遠近夜の破片かな   超走

特選:いしず 鉄火 一郎 安伸 しんく 

しんく:夜の破片。ちょっとしたマジックやもしれません。
一郎:遠近という言葉で単なる比喩でない幅というか厚みを感じた。
鉄火:濃密な時間というのは、例えば折り紙を作っているときだったりする。
満月:<折り紙の遠近>はちょっとわかりづらい。山折り谷折りという折り目の立体感を言ったものか。折り紙は小さくてたいした遠近は生まれないだろうが、その微少なところにこの人物の夜はあるのだ。折られた鋭角の部分が、破片となって彼(彼女)の夜を支配してしまう。これが子供もすなる折り紙であるところが救い。しかしこの<かな>は何?かなをつければ俳句になると思ってとってつけたよう。がっかり。

5点句

夜の檸檬テーブルに置き核家族   朝比古

特選:夜来香 特選:一郎 あずさ 

またたぶ:「暗がりに檸檬泛かぶは死後の景/三谷昭」まで行かずとも、檸檬には現代社会の不安がついて回る。つくりは上手だが、そうした歴史からみると今一つ物足りない。
一郎:テーブルに置かれたレモンと核家族とが響きあって成功。「夜の」は寂しさを増幅させているがそれでいいかどうか。「夜の」を省くと、明るいレモンになって、かえって核家族の空疎さが増し私の好み。
満月:この家族は檸檬一名。無人のテーブルに檸檬が乗っているだけの窮極の家族像か。<夜の>が孤独感と、妙な自己陶酔感を演出する。
夜来香:レモンと核家族、思いもよらなかった取り合わせですが意外と合いますね。でも決して悲惨な家庭というわけではなく、無機質でいながらちゃんと家族としてまとまっているという存在感があります。
あずさ:核家族って、さわやかなものだと思ってたんだ。でもちょっと違うみたい。というようなことがたいへんよく現れている句だと思いました。

カンナ咲く一万ボルトの拒絶かな   室田洋子

特選:まな 知昭 あかりや 凌 

健介:「一万ボルトの」はまずまずの印象でしたが、この手の発想はありがちかも…
あかりや:<一万ボルト>が、あまいと思うがカンナの咲く姿を非常な拒絶と見たことに共感する。<夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 鷹女>
またたぶ:せっかくの真中の意気込みが「かな」という常套切れ字でしぼんだ感あり。
まな:ひとめ見て、気に入りました。拒絶という言葉が好きなのかも。とにかく、やめてよっ!って。ぱきっとした感じ。カンナのあの色はやっぱりそういう感じ、という気がします。
満月:すごい。ストーカーも正気にもどりそうだ。

天高し雲の上にも嘘ありや   柚月まな

特選:超走 朝比古 けいじ 洋子 

健介:あるかも知れませんですなぁ……それはそうと長門裕之扮する“雲の上のおじいちゃん”が『だっせぇ〜』って言うCMは笑える。
けいじ:あるかもしれない。あってほしくないけれど。
朝比古:若干つきすぎの感あるが、まあまあ。
超走:素直に丁寧に書かれて気持ちがあふれています。
洋子:いっぱいあると思う。

雑誌社へ秋の牛乳届きけり   足立隆

特選:明虫 斗士 越智 洋子 

斗士:思わせぶりなところが、かえっていい雰囲気を出している。「牛乳」面白い。
満月:なぜ雑誌社?白い雑誌の小口と牛乳の白・・・が響き合うのはかなり無理な気がする。事実の描写だけか?何かありげに書いてはあるのだが。。
明虫:秋の牛乳って言われるとそんな季語があったかと思わせる、でも普通の日本語ではないのですよね。秋の牛乳なのか、秋の雑誌社なのか。牛乳が秋の景色の中を運ばれてくる、ちょっとちぐはぐな感じが面白いです。
洋子:「秋の牛乳」って爽やかで何かすごく美味しそう!!
あずさ:ジョバンニの牛乳。

折鶴のほどかれてゆく深夜かな   凌

特選:満月 一郎 けん太 いしず 

健介:「深夜」というのがいかにも安易な感じがしていただけません。
けん太:「メビウスの輪」を切りほどく句がありました。よく似てるんですね。でも、この折鶴がほどけてゆく方が、色っぽい。
またたぶ:「折り鶴を紙に戻す」というテは既に使われている上、「深夜かな」で自己陶酔を窮めてしまった。
一郎:25番の折り紙といい、この折鶴といい、夜という舞台に映えるのであろう。
満月:折り紙もの二句目。折り鶴はどうしても「祈り」を思う。その結ばれた祈りがほどかれるのは、凝結して形をとる以前のカオスに戻されようとしているのか。なにか自分の秘密を開かれるような感触を覚える。<かな>をとってつけないでほしいが。

十三夜土へ環らぬ罠ひとつ   朝比古

特選:知昭 またたぶ しんく いしず 

しんく:作者の本意はわからぬが意味深な一句。
またたぶ:青山に来て直球で勝負するとは、さては自信家ですね。球速もなかなかですね。「ひとつ」にうるさい青山ですが、この「ひとつ」はまあ収まっているのでは。
満月:上五に<十三夜>を置いたのはちょっと失敗に思える。逆だったらそうとうこわさが迫ってきそう。「土へ還らぬ罠ひとつある十三夜」。内容はなかなか。しかしまた「ひとつ」だ。。

十六夜に恋濃い故意と変換す   室田洋子

斗士 鉄火 健介 輝 越智 

健介:この句“十六夜や”と切っていたら迷わず特選にしていたと思う。もったいない……
越智:三つ目のコイが孤悲でなくてよかったと思いました。愛憎のうねりを感じます(ちょっとおおげさかな?)
鉄火:十六夜という言葉が持つ思わせぶりな雰囲気が、上手く表現されていると思いました。
斗士:「恋濃い故意」うまく決まった。「十六夜」も、わりかし効いているのでは。
満月:恋が濃い故意じゃいやだなあ。

4点句

弁慶になりたし鬼灯市の夜   宮崎斗士

特選:あずさ 朝比古 いしず 

朝比古:弁慶の斡旋は良い。「なりたし」はやや甘いか。
満月:弁慶と<鬼灯>の字にある鬼は似すぎている。逆に鬼灯そのものはむしろ可憐で力強いとはほど遠い印象。<鬼灯>がかななら鬼灯市で光る赤い実のあやしさを想像できたのだが。私のイメージではそれでも弁慶とは遠いから。
あずさ:「この子は内弁慶」と言われた時代もあった。外でも弁慶になった方がいいのかしらん、と思い、現在に至る。

十六夜のお后の櫛よく嗤ふ   千野帽子

明虫 輝 越智 安伸 

健介:この句は何か“裏の意味”があったりとかするのでしょうか?
越智:こわくて好き。
満月:「笑ふ」じゃなく<嗤ふ?その櫛をお后が使っているとしたらお后は嗤われていることに。。。誰も使っていないとしたら、、、不気味だ。しかしそれでは<よくが浮く。
明虫:縦横無尽の発想力ですね。ウラン焚くの句にも感じましたが。。。よく嗤ふ、とやると良さそうに見えるのだけれどおでこが笑っている、とか膝が笑うとかの表現は結構あるみたい。それに嗤っているのはお后そのものなんでしょう?櫛が嗤ふ、とする必然性がわからない。

秋愁を濃くして夜の赤信号   いしず

特選:萩山 鉄火 あずさ 

健介:『まんまやないけぇ〜』と突っ込みたい気分が沸き起こってきちゃったのは私だけ?
鉄火:この赤信号は点滅している、と気づいた瞬間、この句が好きになってしまった。
あずさ:幼い頃、車に乗せられて眠たくなると、眠たいけれど眠れない状態に陥って、ものすごく不安になることがよくあった。わたしは世の中の人は皆怖いのを我慢して車に乗っているのだと思っていた。後にこの話を友人にしたところ、え?ぜんぜん怖くならないよ。と、言われ、じぶんがけっこう珍しい奴だったことにびっくりした。。。というようなことを思い出さされた一句。


3点句

全力で走る蟻喰十三夜   後藤一之

満月 越智 あかりや 

健介:「走る蟻喰」と“蟻喰走る”とは同じようでいて全体の印象はだいぶ違ってくる。私は後者なら採りたいと思った。
あかりや:身分違いの結婚をして夫の辛い仕打ちに泣く娘が十三夜の晩に、今は車夫になっている初恋の男と出会い、悲しみを抱きながら去る。樋口一葉<十三夜>の車夫を連想しました。
またたぶ:「十三夜」という詩情お手軽醸成語句は、こういう型にはまらない詠み方がされていくといい。
越智:おもしろい。
満月:どうしてそんな動物が走っているのかわからないが。。TVの中のことかも知れないがなんだか夜のアスファルト道路をどすどすと猛烈に駆けているオオアリクイを思った。その映像は迫力があるが、かなり滑稽でちょっとせつなく不気味である。

月見うどんの月を大事に夜食かな   白井健介

特選:一之 満月 

またたぶ:この下五じゃ予定調和のそしりを免れない。あー、せっかくのオリジナリティが…
満月:あったかそうで、いいなあ〜〜〜。なんだか丁寧。俳句で書くととてもいい。
あずさ:食欲俳句。

夜に去ぬ父は蓬の匂いがした   山本一郎

特選:斗士 凌 

健介:「蓮の匂い」ですかぁ……う〜ん……
斗士:「夜に去ぬ父」の醸し出すドラマ性。浅田次郎の小説を思わせるような、はりつめた慕情を感じる。
満月:ゆ〜〜〜れい。。。<去ぬ>で切れているからここには蓬の匂いのする父とそれをかいだ人物(息子か娘)と二人いる。蓬の匂いを嗅いで、息子は父の元を去るのだろうか。父が夜に去った情景を書きたかった気もするのだが。。

卓球で党首を決める狩の宿   千野帽子

特選:健介 夜来香 

健介:『うる星やつら』的荒唐無稽な馬鹿馬鹿しさに寄り切られた。よりによって「狩の宿」だというのがまた笑わせる。いってみれば“漁夫の利”的特選ってやつですね。『青山俳句工場』に“卓球愛好会”を作ろう。洒落にならないほど上手い人お断り、でね。
夜来香:ユーモラスな好印象。党首という言葉が活きているようが気がします。ゆかた姿の中年オヤジが卓球に興じるっていう映像がすぐ浮かびました。

鱸一頭やがて夜さえ支配する   鉄火

特選:隆 帽子 

健介:「鱸」の数え方は“一尾”か、せめて“一匹”ではないの?
満月:<やがて夜さえ>が気取っている感じ。<夜さえ>は<夜を>ではいけなかったんだろうか。かえって夜がちっぽけでうすっぺらに思えてくる。

ろくろ首もてあましたり秋の夜   夜来香

知昭 あずさ あかりや 

あかりや:ろくろ首が首を伸ばすのはどんな必要があるときなのだろうか。この句からは、理由もなく首を伸ばしてしまったろくろ首が仕方なく、自分の背中などを眺めている様子を連想することができる。また、秋の夜とはわけもなく首を伸ばしてみたくなる時間なのかもしれない。
あずさ:折り畳むわけにもいかないし。。それにしてもこのろくろ首、ぜんぜん怖くない。

こまごまとをんな並べて夜の秋    朱夏

夜来香 桜吹雪 景琳 

景琳:「をんな」並べられるほど何デスね。
桜吹雪:女を物のように見たてた句だが、こまごまという修飾語がけっこうきいている。
満月:そんなもん並べてくれるなってつい言いたくなる。
夜来香:夜長をうたった句が多い中で、あたりまえですがこの句が一番おもしろい。おそらく女の長話のことなんでしょうが、中7がシュールなかんじに仕上がった。

オムレツの具の決まらない原爆忌   宮崎斗士

凌 超走 桜吹雪 逆選:しんく 

しんく:入選かと思ったが、いや、待てよ逆選だ。
またたぶ:三鬼の「広島や卵食ふ時口開く」の前編か。「原爆、終戦」モノは飛距離が伸びにくいことを改めて痛感。
桜吹雪:原爆忌の重々しさに軽いショットで平衡感をだしているそのアンバランスなところにひかれる。
超走:原爆忌もずいぶん軽いものとなってしまったものです。
満月:「原爆忌」というものに対する定番的(定型的)予定調和的な姿勢のみが伝わってくる。これではからかっているようにさえ思えてしまう。オムレツの具、決まっているではありませんか。「きのこ」に。

2点句

気管支の擦れる音する窓の月   松山けん太

夜来香 輝 

満月:月が気管支炎?
夜来香:窓ごしの月というのも風情がありますね。アルミサッシの窓じゃなくて、昔風の木枠の窓でその月も歪んでいてほしいです。

生命線に沼閑散と紅葉す   中村安伸

特選:またたぶ 

またたぶ:「てのひら」は俳人ご愛用アイテムだが、鉄道路線など想起すると、ひろがりが出る。さ行の重なりに清涼感または潔さを感じる。特選については「左手首に夢の痕」とどちらか悩みました。
満月:紅葉は一本だけでも華やか。<閑散と紅葉はかなり無理では。沼が紅葉するというのも???

五目ずし犬にも頒けて秋日和   白井健介

萩山 一之 

満月:のどかであったかくていいですね、犬も幸せですね、という現実の共感しか生まれようのない報告句。

鏡には鏡無数の月の夜   桜吹雪

知昭 まな 

まな:合せ鏡、ですよね。その中に月を映している。えんえんと連なる月。もしくは鏡だけが無数にある、月の夜?月がいっぱいだといいな。きもちいい、うっとりです。
満月:イメージは面白い。が、<の>の処理がおもたい。

長き夜の起重機登る蟻二匹   いしず

またたぶ けいじ 

けいじ:ありと起重機。夜の、きっと誰も知らない風景。蟻はなぜ起重機に登るのか。そこに起重機があるから、なんだろう。
またたぶ:蟻二匹の関係がやけに気になる。もう詠まれていそうで、案外詠まれてない状況とみた。
満月:うーーーん、時間かかるでしょう。

あまい柿のように人生を渡り   城名景琳

鉄火 健介 逆選:桜吹雪 

健介:ノーコメントということにさせて頂戴…
桜吹雪:直喩は意外性があって初めて生きるもの。ある意味では暗喩より作者の比喩の力が明確に出るもの。この比喩は一般的な考えをなぞっただけ。面白みがない。
鉄火:ジュクジュクの人生か? 楽しそうな人生だ。
満月:それで?それからどうしたの?肝腎のこれから俳句ですというところが書いてないんですが。。。。

十月の風車さらさらと回る   明虫

朝比古 けいじ 逆選:越智

けいじ:さらさらまわる風車。”十月”らしい光景だと思います。
越智:さらさらとありますからカザグルマなのかな?ふうしゃなのかな? よくわからなくて読取りにくいと思ってしまいました。ごめんなさい。
朝比古:よくわかる句。こういう句もないと・・・。
満月:はあ、それで?


1点句

不死の男静かに冷めている夜長   満月

輝 

健介:“萎えている”の方がまだ面白かったのではないか?

報告は五行もいらぬビル溢れ   岡村知昭

景琳 

景琳:本来報告書って長々と書かれるが,「五行」で決めた。

不用意に茄子畑にてあきらめる   あかりや

夜来香 

満月:この<不用意>がどこにかかるかで一句の印象が大いに違ってくる。この位置では「不用意に茄子畑」があるのかな、とつい思うのでちょっと変。といって「茄子畑にて不用意にあきらめる」でも「不用意にあきらめる」とはどういうことだろう、となってしまう。むしろ、不用意に茄子畑なるところへ来てしまってどうにもしょうがなくなってあきらめる、みたいな構成だと何か感じ取れたかもしれない。
夜来香:ものごとをあきらめるときって意外とそんなものです。茄子畑でじゅうぶん不用意さが伝わってくるので、上句をなにか別の言葉に置き換えたいような気がします。

秋桜やカウンセラーの頬白く   山本一郎

斗士 

健介:「や」の切れ字が不要だと思いますが。
斗士:「白く」が言い過ぎなのかもしれないが、「秋桜」から、カウンセラーのたたずまい、職業意識が見えてくる。
満月:とても俳句らしい。ここで「それで?」という反応をしちゃいけないんだよね、多分?

柊や少女一人夜を泳ぐ   小島けいじ

一郎 

一郎:柊と響きあって、少女らしいかたい意志を感じる。

椅子ひとつ増えている秋野   松山けん太

一郎 

またたぶ:次点の句でした。字足らずは弱点と思わなかったが、他の佳句をしのぐパワーに欠ける。
一郎:秋の野の穏やかな美しさが出ている。何かあとひとつ言葉がいるような気もする。
満月:人間がいない椅子が先にひとつあって、そこへもうひとつ椅子が増えている。だれもいないで、椅子達だけが静かに寄り添っている。しかしこの手の椅子句は腐るほどある。

鬼の子は留守よあらあら烏瓜   満月

けん太 

けん太:これは「あらあら烏瓜」のリズムもよくて。鬼の子との取り合わせもいい。好きですよ。
またたぶ:清少納言はなぜ蓑虫を「鬼から生まれ」たと断じたのでしょう?調べ方にお心当たりの方、ご一報ください。
満月:鬼の子って俳句では蓑虫のこと。当然季語。でもほんものの鬼の子と取ってくれないかなあ。だめ?

メビウスの輪を切りほどく真の夜   明虫

けん太 

けん太:「切りほどく」がわかる。メビウスの輪って、単に切ったりしてはダメなんですね。惜しいのは「真の夜」。伝わってこないですよ。
またたぶ:「真の夜」なんてこぶし効かせたら、ひいてしまうぢゃないですか。先行句に「メビウスの輪に姉がゐる十六夜よ/大屋達治」があります。
満月:<メビウスの輪>が既製品を持ってきた感じでやらせっぽい。お手軽にイメージたっぷりのものに乗っかった感じ。

君に逢ふ明日のための長き夜   柚月まな

萩山 

健介:“その壱”『打つべしッ!打つべしッ!打つべしッ!』……あっ、違った? スイマソン。これくらいボケさしてもらわんと耐えられんわ……
またたぶ:やー、ヘップバーンの方ですか。どうも、よろしく。
満月:で、そこでどういう世界を得ることができたんでしょう?

山門をひらりと落ち葉くぐり抜け   萩山

まな 逆選:帽子 

まな:なにげない風景のヒトコマ、という感じなんですが、実際自分がこの現場にいあわせたとすると、きっといい気持ちに違いない。ということで好きです。
帽子:どうでもいいことを風流ぶって書いている。こういうのが俳句だったら、俳句なんかいつでもやめてやる。
満月:それで?それからどうしたの?

バス停で待つより歩く星月夜   城名景琳

萩山 逆選:斗士 

健介:合掌……
斗士:「星を見ながら歩こう」というのが、あからさまにわかりやす過ぎ。
満月:<待つより歩く>で、バス停で待つのがバスしか想像できなくなるのが大変つまらない。すごく変なものを待っていてほしいのに。

ゲシュタポの含み笑いや夜の雨   足立隆

一之 逆選:朝比古 逆選:安伸 

朝比古:韻文で表出すると、気分の悪くなる世界。
満月:漫画チック。ゲシュタポは本来こわいのだけれど、これを発音してみると、なんだかコメディアンが転けてみせるような音感だし、それが含み笑いしているのを想像しても、なぜか紛争をした谷啓(古いっ!)がにっと笑ってみせるのだ。困った。

行く春のきのうのご飯なんだっけ?   桜吹雪

健介 逆選:知昭 逆選:景琳 逆選:あずさ 

健介:うんうん、こういうことってあるある、というやつでして…クエスチョンマークを使ってみるのも悪くないもんですね。私自身は使わないだろうと思いますけど。
またたぶ:個人的には、”児童口語調句”って偽愚趣味臭に辟易する。(池田澄子句には愛好するものもあるが)でも、この句は「行く春」とのバランスがとれてて悪くない。
景琳:「?」はいい。でも「行く春」が季節ずれ。
あずさ:ボケ老人俳句。

人妻に焦がれ夜毎の修羅となる   輝

景琳 逆選:一郎 逆選:まな 逆選:あかりや 

健介:ふぅ〜ん……
あかりや:俳句詩集<しゅらしゅしゅしゅ>を読む事をお勧めします。<物欲は菜の花に捨てた しゅらしゅしゅしゅ>著者は向上句会の常連の方です。
まな:表現としてはストレートで、そのまんま、という気もするんですが、いろいろ想像してしまう・・・。この人はいまだ密かに人妻を想っているのでしょうか。それとも・・・。人妻の意見としては、もうすこしひねくれた、いえ、屈折した感じで、思わせぶりににおわせてくれた方が、どきどきのしがいがあります。
一郎:単なる説明。それにしても「たいへんでんなあ」
景琳:どんな人妻なんだろうって思った,やはり美人!?
満月:そ、そうですか。お大変ですね。告白句?

その他の句

口開くあなたの夜の黒さかな   あかりや

満月:腹黒いというのはあるが。。夜の「暗さ」ではいけないんですね。うーーん。。

あふあふと海彦溺れ夜想曲   またたぶ

満月:夜想曲がどうしても唐突な感じがする。きっと<海彦溺れ>だからだ。読み手は何らかの夜想曲を自前で想像しなければならない。「海彦溺れる夜想曲」だったらそのような曲を想像できそうな気もする。

復讐は忘るや檸檬色付きぬ   越智

満月:<は>と<や>と<ぬ>でなんだかやたら重く感じる。これを口語にするとずいぶん雰囲気が変わる。「復讐忘れたか檸檬色付いた」個人的にはこちらの方がすぱっとして好みだし生きる感じがするのだが。

数打つも当たらぬ恋の曼珠沙華   輝

健介:まず“───恋や”と切った方が私は宜いように思う。それより問題なのは「曼珠沙華」の花詞は確か“思いはあなた一筋”だった筈。だとすれば内容にあまりにも合わない花を季語にするというのは如何なものかと思いますが……それとも確信犯的措辞なのか?
満月:集中して行きなさい!

紅葉づく前夜の水を汲みおらむ   またたぶ

満月:前夜の水を汲むというのがちょっとわからないけど、一夜おいたら水が紅葉していたという変身イメージは面白い。口語で書いた方が効果が出るような気がするけど。

口惜しさを思い知らせな吾は夜顔   越智

満月:よくわからない。<知らせな>という言い回しがあるんですか?いろいろしゃべっている句だが、いいたいことばかり並べたために却ってわからなくなってしまっている。

長き夜の眠れぬ友よりEメール   萩山

健介:石になってしまいそう……
満月:あ、そうですか。ご報告承りました。って、聞いてもしょんない。

築山の紅葉踏むにも急ぐかな   中村安伸

満月:築山が庭園の造形の事だとしたら、遠景の富士山とかを模してあるのだからそれ自体に普通木は植えないと思いますが。植えるとしたら麓に近景の描写として。この人は何で庭の中を急いでいるのか。。。???それともそういう名の山があるんでしょうか?

水底よりこだま響けり夜光虫    朱夏

満月:夜光虫って水の表面に浮いているとか水中を漂っているような映像しか見たことがなくて、水底の夜光虫を想像できなかった。また、水面の夜光虫が水底からの響きを受けて光っているとするにはきちんとそのへんが書けていない。

空也忌の夜にバスタオルほりなげて   しんく

逆選:鉄火 

鉄火:空也というより猪木。

こひびとのむつきをかえる月夜かな   山口あずさ

逆選:健介 

健介:言いたい事はごまんとあるが、まず「こひびと」「かえる」の仮名遣いの混用が甚だ興ざめである。結論から言えば「月夜」にいまひとつ賛成できなかった。「かな」の詠嘆も少し邪魔な感じがする。要は「こひびと」の介護をしている情況にあるのか、この設定が作者の性的倒錯嗜好に関するものであるのか、それを判断しうるような季語なり表現の工夫なりが無いと詳細なコメントもしづらい。一歩間違えば大いに顰蹙を買うことになりましょうし。いずれにしても詳しい解説は希望者のみを対象にすべきだと思いますので。
満月:これから先、そういう時代になるんだろうなあ。我が祖父は99歳のときにある女性にプロポーズした経歴の持ち主だ。今104歳だがまだむつきの世話にはなっていない。<月夜>でこれが現実をすっとはなれて妙な感じを獲得しているのに注目。

別れ蚊や家の中まで腐れ縁   夜来香

逆選:隆 

健介:ほんにお疲れ様ですぅ…。
満月:ああ、わびしい。腐った臭いがしてきそうだ。

草じらみライダーカード復活す   しんく

逆選:けいじ 

健介:そういえばこの前、私より老けた感じの男がセブンイレブンで仮面ライダーチップスを800円分ぐらい買い込んでたなぁ…。この句、もっといい季語が見つかるかも知れないが「草じらみ」もまずまずの感じ。でもせめて「仮面ライダーカード復活草じらみ」とした方が宜かったような気がします。
けいじ:テレビで見たときにポンと考えたんでしょうが、あまりに不用意な気がしました。
満月:ライダーカードって?運転免許証?