第25回 青山俳句工場向上句会選句結果

(長文注意!)

無記名の選句結果を発表し、ツリー掲示板を使ってつっこみを入れる「つっこみ句会」を丸一年続けてきました。「つっこみ」を前面に押し出してしまったことの弊害を実感せざるを得ず、今回限りで、休止することにしました。が、ツリー掲示板を使っての句に関する議論はこれからも続けて行きます。
選句発表は記名のものを発表し、改めて完全バージョンをという形式は辞めにしますが、ひとつひとつの句を大切にする基本は変えずにゆきたいと思います。
今後ともよろしくお願い申しあげます。

向上句会とりまとめ:山口あずさ   


投句:宮崎斗士、満月、けん太、白井健介、千野 帽子、後藤一之、凌、いしず、朝比古、谷、明虫、またたぶ、ぴえたくん、足立隆、杉山薫、いちたろう、室田洋子、しんく、鉄火、南天、(h)かずひろ、山本一郎、萩山、秀人、秋、古時計、ももこ、山口あずさ


全体的な感想
帽子:「迷い子の涙乾き」「寂しさは樹木医に」「途切れない記憶」「憤怒の舌のばせ」「既視感(デジャヴ)おぼえしその香水」「悲しき風紋ばかりなり」「小綺麗な嫉妬心」…感情やつかの間の知覚に自己愛をぶちこむほど、「私」とはだいじなものなのでしょうか。なかにはあきらかに「た×な××」としか思えない句が…。
またたぶ:樹は樹で難しいね、ふう。
:最近はとても詩情ある句が多くあって、5句に絞るのは辛い。でも楽しかった。自分の句は即吟で出してしまって、無季だった。今度頑張ります。
明虫:俳句の深読みの愉しみをいう人がいて、この句会でも結構単純そうな句が深く読まれていて興味深い。今回の、夜の水が橋を登る句、俳句を越えて私には感ずるところありました。これも深読みだったかな?
:今回は季語という起爆装置を効かせた作品に興味を持った。
いちたろう:今回も3句だけ選ばせてもらいました。何度も読み直した結果です。○、△プラス、△、△マイナス、×の印をつけて、○のものだけ選ばせていただきました。△プラスにさせていただいた「草いきれオヤ臨月の爬虫類」「撒水車白き律動近づけり」の2句を加えれば5句になったのですが、妥協できませんでした。やはり、ミスコンテストではある一定以上の美人が選ばれるのではないでしょうか?ミスコンテスト(あるいはミスターコンテスト)で「まあマシだから一票投じよう」という人がいるのでしょうか?ぼくは自分がすばらしいと思える句だけ、選ばせていただきたいと思います。(わがままですみません。ご迷惑はおかけしないようにしたいと思います)
一郎:難解な句が多くて、選ぶのに苦労した。ちょっと自分の能力の限界を感じてしまった。
けん太:今回は正直、いま一息であったのではないか。なぜか難しくしようというベクトルのみが進んでしまっているような気がする。もう少し読ます工夫が欲しい・・。
満月:全体的な感想今回は(も)ちょいと忙しくてコメント最小限。ごめんなさい。でも昔のようなはちゃめちゃ(死語)的な句が出てきて、玉石混淆状態再来のきざしか???なに、石だって磨けば光る。
鉄火:不特定の人たちの集まりで多彩な句が揃うというのは、当たり前なことのように見えて、案外難しいことかもしれない。今回はいろいろな方向性の句が楽しめました。
:夏に向かっているというのにこのごに及んでちょっとへばりそうな句が多かったのが、なんというか。少し喝入れていきたい。いや、自分にですが。短い夏です。とくに北海道。
秀人:うーん。今回はエネルギーレベルがダウンしている印象です。自分の作品のなんとなく暗かったし、弱かったし、これも気候のせいでしょうか。
健介:私の採った句のなかで特選句と「樹まりこ」の句(いずれも超私好み)を除いては、いずれも推敲の余地ありと認められるもので、ここ数回そういう傾向にあるのですが、前回の作品に較べたらだいぶイイ感触を得られました。たとえ改善の余地ありという作品でも“採り甲斐のある”作品に出会いたいですよね。妄言多謝。

11点句

初夏のいちにち魚になる呪文   杉山薫

特選:谷 特選:古時計 特選:健介 特選:一郎 秀人 あずさ 満月 

あずさ:クリムトの水蛇を思い出した。この呪文、わたしも知りたい。
またたぶ:「初夏のいちにち」の甘さが否めない。下手すると媚びにとられかねない。
健介:「呪文」というのが妖しさを一層醸し出しており、それにまんまとそそられてしまったこの私。あぁ〜ぁそういう場面に係わらなくなって何と久しきこと……。『リバーサイド・ホテル』の歌詞からの類想?とも。でもイイ句だと思う。
古時計:どんな呪文なのか、その呪文と初夏がきいています
秀人:涼しそうなので選びました。他に理由はありません。よくできているとは思いませんが、自分も魚になりたいとよく思うものですから。
谷:爽やかさを評価したが「呪文」と書いたのでは台無しだ。こう書きたい気持ちはわかります。しかしこれは表現の常套手段。つい誰もがこのように書いてしまう。ここを抜けなければならない。
帽子:ぼくもむかし「魚になるための注射をされて冬」というのを作ったが、<魚にな>ったからっておもしろいことなどないですよ。<いちにち>なにかに<なる>は使い古されている。
満月:他愛ない。<いちにち>もかなり手抜き的な印象。「〜になる呪文」も聞き飽きた。でも・・・・肩を張らないで楽に「その呪文おしえて!」と訊きたい気持ちになったから。なんだか生命の本質的な部分を触られた感触。
つっこみ!
あずさ:たしかにたわいもないのだが、この手のたわいもなさに、ときどき素直になれてしまう句がある。「たわいもなさ」に大きく×をつけたくなる句と、ふっと嬉しくなる句と、明確なラインがあるわけではなく、その日の体調や気分にも左右されるのかもしれない。(もちろんこの感じ方自体、個人差が大きいだろう。)
この句からは、水の中をさらっとくぐり抜ける魚の心地よさを感じることができた。

7点句

バナナの樹ふかき傷あり虚空津彦(そらつひこ)   秀人

特選:洋子 一郎 またたぶ いちたろう 明虫 南天 

いちたろう:バナナの樹って、日本では「芭蕉」ですよね。芭蕉って、なんだかぬぼーっと独特の空間に突っ立っていますよね。子供の頃、なんだこれは?と思いながら芭蕉を見上げていたことを想い出しました。「傷」がまた、ぬぼーっと独特の空間を生じさせていて、そうか、虚空津彦か、と妙に納得させてくれるものがあります。ところで、虚空津彦って何者ですか?勉強不足ですみません。ぜひ教えていただきたいと思います。
またたぶ:検索して懐かしい話を思い出させてもらった。「バナナ」と「虚空津彦」が競合しているようなので、別々に二句詠んでほしい。といいつつ、前者がとても好きなので一票。単に「破れ芭蕉」のことだったら怒る。
南天:バナナの樹には確かにふかい傷があるだろう、というリアル感。虚空津彦というのはその虚無感の擬人化か?
帽子:下五がいいのか悪いのか…。
明虫:古事記をよく知らないので深読みができないけれど、バナナの樹の草本と思える柔らかな幹が思えて空つ彦の大らかな風姿と戦いの傷がチラと見えた。そのころの剣は石か青銅(?)で傷もざっくりとしたものだっただろう。
つっこみ!
あずさ:またたぶさん、検索して何がでてきたのでしょう?「虚空津彦」をgooで引いてもなにも出てこなかった。虚空蔵菩薩ではなさそうなので、古事記説でいいとは思うのですが。。。
ちなみに、CD広辞苑(第4版)では、
そら‐つ‐ひこ【空つ彦】皇太子の位にあたる皇子。→天(アマ)つ彦
あま‐つ‐ひこ【天つ彦】天つ神の子。あまつひこひこほのににぎ‐の‐みこと【天津彦彦火瓊瓊杵尊】→ににぎのみこと
ににぎ‐の‐みこと【瓊瓊杵尊・邇邇芸命】日本神話で天照大神の孫。天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)の子。天照大神の命によってこの国土を統治するため、高天原から日向国の高千穂峰に降り、大山祇神(オオヤマツミノカミ)の女(ムスメ)、木花之開耶姫(コノハナノサクヤビメ)を娶り、火闌降命(ホスソリノミコト)・火明尊(ホアカリノミコト)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)を生んだ。天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)。
こ‐くう【虚空】(1)〔仏〕一切の事物を包容してその存在をさまたげない無為法。空間。(2) 何もない空間。そら。今昔一「―に昇りて去にけりとなむ」(3) 事実に基づいていないこと。架空。〈日葡〉(4)思慮のないさま。向う見ず。むてっぽう。狂、鴈盗人「いや、おのれは物を言はすれば、―なことをぬかす」。(曲名別項)
==おまけ==こくう‐もの【虚空者】思慮分別のない人。
またたぶ:選句時に確かに goo かyahoo で検索しました。ひらがなと漢字両方で検索して、片方だけヒットしました。概要を現代語訳つきで紹介したサイトが二箇所ほどありました。ところが、今探したら出てこない。なぜだ???? 流行り廃れるようなページじゃないはずなのに。二度と手繰れないと知ってたら、ダウンしとくんだった。
URLを報告できないなら、概要の概略を私が紹介できたらいいんですが、できません。
1.やはり引用は正確な方がいい
2.(1とかぶってますが)思い出せない………
とにかく、「皇子」という一般地位じゃなくて、特定の人物でした。
「うみつひこ」(←多分そらつひこの兄)とセットで出てくる話です。最後はどちらかがワリを食う展開だった気がする。出典は「書記」だと思うけど違うでしょうか?  ←ごっつ弱気
「…塩を吐き続ける臼を海に沈めてしまったので、海水はあんなにしょっぱいんだとさ」みたいな、大抵の日本人が聞いたことあると思える内容でした。
という訳で不肖またたぶの代わりに、どなたかご教示ください。
ぴえたくん:http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/koten03.htm

樹の上に眼球いくつ走り梅雨   満月

特選:薫 健介 ぴえたくん いしず 凌 隆 

ぴえたくん:雨脚に隠れている眼球と目が合ったら、とてもこわいと思う。「いくつ」があやふやになってしまって惜しい気もしますが、全体の構図が好きです。
薫:今回一番季語が効いていたと思います。言うことなし。
健介:「眼球」という語感からすると違和感と言うか、抵抗があることはあるんですけど、その点に目をつぶればちょっと惹かれる句。
帽子:先月の「猫の舌ひろって…」同様の「わたしって変わってるってよく言われるの」的不思議ちゃん俳句。
凌:やがて本格的な梅雨になるかも知れない・・・とざわめく樹を見上げた時、私も確かに無数の眼球を樹の上に見た。
つっこみ!
あずさ:わたしはこのモチーフ自体に既視感を感じてしまって、採らなかったのですが、おもしろい句だと思います。
凌:私はこの句を○にしました。しかし「樹の上に眼球いくつ」は情景としてよく見えるのですが、「走り梅雨」でちょっと緩んでいるような気がします。もっと横殴りの激しい雨のとかの方が「眼球」がもっと際だつのではないかと思いつつ○にしました。どこかで見た絵画のイメージとかさなっているような既視感は私も感じています。

電柱に「仔猫あげます」麦の秋   ももこ

特選:秀人 古時計 一之 いしず (h)かずひろ 萩山 

(h)かずひろ:ひょっとして先月の「パン生地の眠るさなかを猫の恋」の続編ですか?
古時計:いただきます。
秀人:意味のよく分からない俳句の中で、この句はよく意味が分かりました。消極的意見で申し訳ありません。何故か今回は弱気です。
帽子:この中七下五、一日平均日本じゅうのカルチャーセンター俳句教室で推定6.53人は書いている(文部省調べ)。
つっこみ!
あずさ:猫好きでは決してないわたしにとって、「仔猫」はいらないので、ポスターを見たときの反応と、句を見たときの反応が同じになりました。でも、もし猫好きだったとしても、「詩」というよりは、単なる「情」のような気がする。

樹海よりぞろぞろ出たる裸かな   後藤一之

特選:斗士 特選:しんく 特選:けん太 帽子 逆選:薫 

けん太:世界が不思議。おもしろい。俳句というより・・これは何でしょう?
しんく:幽霊うんぬんを信じない私にとって、樹海より出てくるのは生身の人間。あるいはのこった骨ということになる。
薫:今回は「おしいっ」という句を逆選にしてしまいました。しりあがり寿みたいで絵が好き。「ぞろぞろ」って言わないで「ぞろぞろ」の雰囲気がでると、特選だ。
斗士:うまく決まった幻想。説明過多でないところがいい。「ぞろぞろ」の語感もナイス。
帽子:きもちわるいところがいいかも。もう<裸>が季語に見えない域に達している。
つっこみ!
あずさ:1970年前後の先駆的レコードジャケットのようです。フラワームーブメントか。嫌いではないのですが、<ぞろぞろ>がちょっと泥臭いような気がする。この泥臭さが好きな人もいると思うけど。

6点句

寂しさは樹木医に診てもらうキリン   いちたろう

洋子 秋 健介 ぴえたくん いしず あずさ 

あずさ:キリンって、植物だったのね。大人なのに小児科の先生に診察してもらったような感じでもある。
ぴえたくん:キリンさんは木々のささやきを聞いて寂しくなったのよん。。
またたぶ:着想はおもしろいのに、この「つきすぎ」感は樹木希林のせいだろう、やはり。
健介:ただ何となくですが、この句「診てもらう」よりも<相談するキリン>の方が好いような気がします、私には。「樹木医」は<樹医>で分かるのでは?と思う。その方が音数もよいでしょうから。
秋:メルヘン。哀感があってユーモアがあってメルヘンが有って楽しい。
帽子:じぶんもむかし「さびしい」がどうしたとか書いたことは棚に上げますが、ほんとに向上句会といい本句会といい、<寂しさ>だの「悲しみ」だのばっかですね。でもってお馴染み動物園の動物という組合せ。まさに「青山月並」。さらに<きりん>と<樹木>のベタなアナロジー、子役俳句ですね。

ががんぼや樹まりこのカレンダー   朝比古

特選:またたぶ 斗士 健介 薫 隆 

またたぶ:魚屋句(第15回参照)では「ヌードカレンダー」というまんまな措辞に抵抗があり採れなかったが、この固有名詞の方がスマートだし、「ががんぼ」も効いている。題のひねり方がいちばんだったので特。
薫:2番目に季語が効いていたのがこれ。樹マリ子、と記憶していたのですが、もしかしたら加藤鷹と別れたあとカムバック時の名前がこれなのか??桜樹ルイちゃんだったらががんぼではないと思う。
健介:「ががんぼ」がよく効いていて(私好みの)とても巧い句です。ちなみに「樹まりこ」ってこの字面でよかったんでしたっけ? 情報をぜひお待ち致しております。気になって眠れませんので…。
斗士:AV女優のカレンダーとががんぼ。一風変わった(でも斬新な)哀感がある。
帽子:<樹まりこ>。ある世代に読者を絞ったか。試みとしては買う。
つっこみ!
ぴえたくん:おんなのひとの名前のカレンダーだから、もしかしてぬーどなのかな?と思ってたら、ふうん。。。
わたしには全然わかれへんかったどお!薫さまああああ(-_-;)
斗士さまはお部屋にいっぱいヌードカレンダー貼ってる?
数行上ではショック?のため「わかれへんかった」と書きましたが、漢字を「樹」一文字にしてあって、上手な題の使い方だなあ、と思いました。皆さんが「マリ子」じゃなかったか、と書かれていましたが、全体のバランスから平仮名になさったのではないでしょうか。
斗士:いやヌードカレンダーって買ったことないですよ。やっぱりああいうものは、こそっと見るものであって、公明正大にどーんと貼っておくものじゃないような気がするのでした。あ、でもアイドルのカレンダーなら買ったことある。貼らなかったけど。
あずさ: 樹まりこ(マリ子?)って、いったい何者?アイドルかな? と思っていたのですが、AV女優さんなんですか?
朝比古:90年代最大のAV女優(と小生は思っている)。あどけない笑顔と、グラマラスなボディ・・・。正直、好きでした。
今日、出張から戻って来たんですが、たまたま宿泊先の有料ビデオのプログラムに彼女が出ていました。そこには、「樹まり子」と表記されていました。一応、報告まで。
薫:90年代最大のAV女優、同感同感。意義なーし。この件に関しては妄言多々あるのですが、他の機会に譲ったほうが・・・いいかも。
あずさ:AV女優に関して、わたしは娯楽として接することが皆無で、悲劇ばかり耳にしているのですが、たしかに「表現」として成立している世界ではあるのでしょうね。(←奥歯にものが挟まっている。)
歓楽街における「不幸な女」は、商品になりますが、歓楽街における「性的PTSD」は、商売の邪魔。と、某掲示板で読みました。
雷小僧というAV男優さんがいるのを知ってますか? この人は言語不明瞭ですが、悲しい人です。
朝比古:不勉強ですみません。「性的PTSD」とはどういう意味なのでしょうか。手元の辞書に出ていないので教えてください。。
あずさ:PTSDは、Post-Traumatic Stress Disorder(心的外傷後ストレス障害)で、これの性的なものということです。その最大のものがレイプ被害で、家族に風呂場を覗くような人間がいた場合にも、こどもの心には深い傷が残ります。(※家族に風呂場を覗かれて傷つくのは、女の子だけではありません。男の子の場合も同じ。)
AV女優にしろ、いわゆる風俗嬢にしろ、何らかの被害体験があると思ってまずまちがいない。(※本人が自覚していない場合も多い。)
被害者というのは、不思議なもので、同じ被害に遭うような場に、足を踏み入れることがある。(※これを本人の自由意志と呼ぶには、忸怩たるものがある。)
このことをまじめに踏まえてしまうと、歓楽街で楽しく遊ぶ、あるいは、楽しくAVを鑑賞するということは不可能になります。なぜかというと、被害者は客に対して、加害者を投影しているというのが浮かび上がってくるから。従って、商売の邪魔になってしまうのです。
一昨年の春、豆の木での句会の帰りの台湾料理屋で、わたしが援助交際について延々と演説していたときの異常な光景を、朝比古さんもご記憶かと思いますが、わたしはネット上でのさまざまな体験から、その手のことどもに過敏になっています。
この春、たまたまキャバクラに足を踏み入れてしまったのですが、(※不運だった)、たいへんなストレスを感じて帰ってきました。できることなら、店ごと買い切って、女の子を全員家に帰したかった。(←ビョーキ)
もっとも、この句に限って言えば、AV女優が幸福に鑑賞されることは、AV女優にとっても幸いであろうと思います。
PTSDに関するURLを書いておきます。
http://www-soc.kwansei.ac.jp/tatsuki/papers/PTSD/PTSD.html
朝比古:あずささん、懇切丁寧な回答を頂き、どうもありがとうございます。
私はあずささんの考え方に対して、全面的に賛成するという立場にはありませんが、尊重しつつ、自分の中でかみしめていきたいと思っております。
一昨年の春、はい、あの時の印象は強烈でした。「援助交際とは良くないことなのだ」という総論部分では合意しましたが、各論部分で意見の食い違いがあり、議論をしましたね。非常に重い内容を自分なりに、真剣に話し合った記憶があります。決して、あずささんの演説であったとは思っていませんし、異常な光景であったとも思っていません。
(あずさ:もっとも、この句に限って言えば、AV女優が幸福に鑑賞されることは、AV女優にとっても幸いであろうと思います。)
この句、私の句なのですが、あずささんにこのような言葉を頂けるとは、作者冥利につきます。

憂鬱な樹果のジャムなら嘗めてみる   ぴえたくん

特選:(h)かずひろ 谷 秋 またたぶ 南天 

(h)かずひろ:だからと言って、今夜clubで憂鬱なカオしていても、女の子はかまってくれないのだよね。
またたぶ:語感が既にぐじゅぐじゅしている。憂鬱ぶりには抵抗あるが、心情に共感できて一票。
秋:この面白さは説明が難しい。一休さんの水あめっていうところかしら。憂鬱なが実感がある。美味しくなさそうに食べているのが見えてくる。
南天:「なら」です、やっぱり。
谷:「なら」は理屈であろう。
帽子:上五の自意識が個人的に恥ずかしくて困る。
5点句

迷い子の涙乾きて夏木立ち   (h)かずひろ

洋子 萩山 朝比古 けん太 いちたろう 

いちたろう:リストの最初にあった句だったせいか、記憶に残りました。「迷い子」はベクトルの定まらない様子。それが「涙乾く」ことによって、焦点が合うように、霧がはれるように、「夏木立ち」が目の前に現れた。泣き止んだから夏木立ちが目に入ったのか、夏木立ちが目に入ったから泣き止んだのか、どっちなのかわかりませんが、夏の盛りに産まれたぼくは、田舎の夏木立を懐かしく想い出しました。夏木立ちを前に、立ち止まっている瞬間が、ぼくの大好きな「刹那的な詩としての俳句」を感じさせてくれます。それにしても涙が乾いてよかった。
けん太:最後の1句にこの素直さを選んでみました。よくある表現パターンなのだけれど、爽やかさみたいなものを感じるので。
またたぶ:「乾かす」の方がおもしろくなると思うんですが、ねらいすぎて嫌味だろうか。
朝比古:ノスタルジー。中七の甘さを夏木立がなんとか支えた。
帽子:陳腐。ユーミン行き。
健介:ともあれ「夏木立ち」の「ち」は要らないです。

面倒だから柩はもとの樹に戻る   凌

特選:満月 特選:帽子 いちたろう 

いちたろう:面倒だから、というのは理屈の拒否。感覚的な空間への身投げ。棺は木製で、板材にされた時点でもう樹ではなくなってると思ってたらまだ樹のつもりだったんですね。たいしたもんです。人間の価値観とはスケールが違う。棺は微生物に分解されて、また樹の血となり肉となるのでしょう。サイクルを内包した、句の中で完結した感じが、ポエジーの結晶っぽくて、俳句という形式の特性をうまく活かしてあるんじゃないかと思います。何回も作品リストを読み直しましたが、この句は今回のベスト3には入って当然ではないでしょうか?どうでしょう?
またたぶ:この「面倒だから」は理屈だろう。
帽子:<面倒だから>がすごくいい。<もとの樹>は、<柩>の材料とは取りたくない。<柩>の棲みかであってほしい。
満月:そうだろうなあ、こう簡単に死んで貰っちゃあ。。柩もやってられないってもんだ。<面倒だから>の措辞が、人間の、自然を忘れ果てた死への警告のようだ。しかしこの句はそんなもっともらしいことをいうことさえ<面倒>でさっさと樹にもどってしまっているのかもしれない。
4点句

なわとびに入りそこねて梅雨といる   けん太

特選:いしず 古時計 ぴえたくん 

ぴえたくん:ひとりぼっちじゃなくて梅雨といるのが優しくて好き。
健介:「梅雨といる」の「といる」が非常に野暮ったい印象にしてしまったという感じがするのは私だけでしょうか?
古時計:人並みになれないで人とうまくやっていけないそして、さらに梅雨といるつらすぎるけどそれをなわとびとしていいるのがいいです。
帽子:「といる」。勝負に出たところでしょうが、ちょっと季語がつきすぎ。てゆうか、雨のなか「なわとび」してるんですかね。

はじめての空蝉を持ちわが樹齢   宮崎斗士

特選:隆 あずさ 洋子 

あずさ:空蝉はまだかな、まだかな。この樹、まだ子どもなんだね。
帽子:あなたは子どもなのか老人なのか。
健介:思うにこの句、擬人法的表現がむしろ興を削いでしまったように私には感じられてならない。例えば<はじめての空蝉を置く樹齢なる>で宜しかったのでないかと…。

影持たぬ新樹のような背中かな   室田洋子

隆 鉄火 古時計 (h)かずひろ 

(h)かずひろ:「新樹のような」という背中の比喩の表現をおもしろく思いました。
またたぶ:「翳」はある方がかっこいいとされる。影が薄いのはまずい。「持たぬ」というのは透明な存在ってやつですか。
古時計:若葉が青々としたみずみずしいからまだ影をもってなくてそんな後ろ姿にあこがれる。
鉄火:大人になる以前の両性具有的な背中をすぐに思い浮かべたが、そんなに単純なことでもないような気がして、いろいろ想像してしまう。
帽子:上五が緩くてちょっとおポエム。

新樹に棲む小綺麗な嫉妬心   古時計

特選:秋 一郎 いしず 

秋:嫉妬心に小奇麗なものがあるというかるい意外性。(勿論同感)その小奇麗な嫉妬心の棲むところが新樹だと言うのが良い。
帽子:破調が失敗。<嫉妬心>が<小綺麗>とか<棲む>とか言ってるのが汚らしくていやだ。

草いきれオヤ臨月の爬虫類   後藤一之

特選:あずさ けん太 凌 

あずさ:わたしは爬虫類が怖い。が、その爬虫類がこれからお母さんになる爬虫類だとすると、ふっと親和感が芽生えるような気がする。
けん太:「オヤ」という口語が効いている。でも、なんとなくつきすぎの感。
帽子:中七冒頭のオヤは「パチンコ屋オヤあなたにも影がない   中村冨二」のパロディか。この<オヤ>を言わずに切るのが俳句なのだろうから、季語はあってもこの句は川柳的。ただしその試みを大きく評価しても、ただごとはただごと。とはいっても<臨月>という語が<爬虫類>と組合せられると妙に原義を離れて<月>に<臨>むって感じで美しい。
凌:爬虫類の臨月なんて考えたこともなかったけど、その驚きの「オヤ」がすごく効いている

蝙蝠に体内時計をかじられる   鉄火

帽子 朝比古 谷 秀人 

またたぶ:そういわれるとそんな気が… でも「を」はない方がいいですよ。
秀人:多少、俳諧を感じました。徘徊しないよう気をつけてね。
谷:「蝙蝠」に表現の全部をゆだねすぎる。その結果蝙蝠の意味が出すぎてしまった。「体内時計をかじられる」に重心を置いて書いたなら、蝙蝠は消えてしまうだろう。
朝比古:最近、体内時計の句をよく見る。七音で使い勝手がよいのと、このことばをつかえば、「現代を詠ってるって感じじゃん」と底の浅いところでの安心感があるからなのだろうと推測できるのだが、この句は、ぎりぎりセーフという感じ。蝙蝠の昏さがイイ。「を」は不要。
帽子:アイディア一発、しかも地味に。その地味さが好きだ。

薄荷水もう短パンははかないよ   千野 帽子

鉄火 朝比古 秀人 ぴえたくん 

ぴえたくん:陽水さんの♪少年時代♪を過ぎた少年の呟きのよう。
秀人:ちょうど、キリンレモンを飲みたかったので、代わりに薄荷水を頂きました。おいしかったです。でも、半ズボンは涼しくていいと思うのですが……。
朝比古:うーん、そんなこと言わないでよ。
鉄火:いい意味で軽い句だなと思いました。深く考え出したら、余計な想像もしてしまうけど、軽さをそのまま受け取ります。
あずさ:小学校高学年のフォーク的決意。<薄荷水>と<もう短パンははかないよ>は、ノスタルジー付き。

樹冠では昨日の宇宙干されている   満月

特選:南天 鉄火 明虫 

鉄火:樹冠の生態系というのは、人間の手が届きにくいだけに未だによくわからないという話を聞いたことがある。何が干されていてもおかしくないという気がする。
南天:宇宙をその樹冠にもつ世界樹、その根元に立って干されている宇宙を見ている「私」を意識してしまいます。宇宙の外側にいる「私」は、全能と孤独を両方もっている。そんな、なんともいえなさを感じました。
帽子:<樹冠>とは月桂冠のこと? <宇宙>がやや緩いが<昨日の><干され>がいいと思う。
明虫:チーズのように溶けた時計の、ダリのだまし絵を見ているような気持ちです。(ダリは実際にカマンベールチーズから発想したらしい)
3点句

卯の花腐し砂利あたらしき抜小路   白井健介

帽子 萩山 朝比古 

朝比古:座五の表現なんとかならなかったのかなぁ。
帽子:<砂利あたらしき>がうまい。確かな技術。明るい未来。

泥よりも確かに棒状少女群   山本一郎

帽子 南天 谷 

あずさ:<泥よりも>がよくわからなかった。
健介:「泥よりも」というのが今一つよく判らないが「棒状少女群」という把握は正に実感のこもった見事な表現だと感心した。敢えて説明を要しますまい。
谷:「確かに」が表現を強くしているようでその逆、表現を曖昧にした。韻律を整えることと、気持ちのみなぎりが「確かに」と書かせたのだろうが、私にはむしろ表現を途中で終らせてしまったようにしか見えない。
南天:「確かに」とあるけれど、「棒状少女群」には怖さを感じます。とても印象的な一語でした。
帽子:下五のような語はほんとは使ってるだけで逆選にしたいのだが、<泥よりも確かに棒状>とやられてしまっては採らざるを得まい。中七の8音がこのばあいには効いている。

撒水車白き律動近づけり   朝比古

特選:凌 隆 

またたぶ:「…律動」まではいいと思うんですけど、下五はもう少し外した方が好みです。
帽子:これは一物仕立ての句ですね。初期の山口誓子みたい。下五が不恰好。「近づきぬ」ではいかが?
凌:喩でもなく、虚でもなく、不可解なところもない静謐な緊張感。普通「白い・・・」は安易に流れることが多いのだが、この句の場合は「白き律動」を見つけたのが手柄。

棍棒の握り具合もいい卯月   凌

南天 斗士 けん太 

けん太:これはこれは!どんな状況なのでしょうか。ともかく気持ちいい感覚は伝わってきます。
健介:(選句表で)<初夏のいちにち魚になる呪文>のすぐ後だけに余計そう感じるのか、この句は要は“中途半端”なことが読み手につまらないという印象を与えてしまうのだと思う。見え見えのことを言おうとしていながら、どこか煮えきらぬ覚悟のせいで思わせぶりも陳腐に纏まってしまった、と思う。とことんいくのか、知的(?)チラリズムで勝負するのか、この句はそのどちらでもない。その意味で所謂“おやじギャグ”的な後味を読み手は覚えるのではないか、だとしたらかなりヤバイ句な訳です。
斗士:とにかく爆笑してしまったので選に加えた。楽しくなります。
南天:卯月が持つ狂気のようなものをじんわりと感じさせてくれます。昨今の「17歳の・・・」なんていうのよりもっと根源的な。
帽子:そ、それをなんに使うつもりだ!?

罪やわが樹液かがやく乱歩の忌   千野 帽子

明虫 斗士 またたぶ 

またたぶ:「罪」とはまた直球すぎるが、乱歩の独白だったらおもしろい。動物としての人間描写をほしいままにした彼が樹になり果ててまだ樹液をかがやかせていそうだ。
健介:何を以て「罪」だというのか、そこに焦点が絞られていないのでは、作者の独りよがりばかりが目につく句になってしまうと思うのですが…。
斗士:「わが樹液かがやく」と乱歩忌との取り合わせが非常にうまい。でも「罪や」が惜しい。蛇足だと思う。
明虫:ぎらぎらした樹液に罪をもってきたことは共感しました。乱歩はダメ押しにも感じましたが。

宵闇の桜吹雪に遭難す   室田洋子

凌 秀人 古時計 

古時計:この遭難は遭ってみたい。大げさが好き。
秀人:すこしはまり過ぎているのでしょうが、難しいことをいうと切りがないので選ぶことにしました。根拠が薄くて済みません。
凌:恍惚と立ち往生している宵闇の妖しさ。「遭難す」という結語が際だっていい。
帽子:<宵闇>は秋の季語。<桜吹雪>は春の季語。つまり作者は文字どおり遭難している。

姿見へ佇たしむ全裸新樹光   白井健介

洋子 秋 一之 

秋:これは大変なデリカシーある。姿見に立っているのは自分だと思います。銭湯とか温泉で脱衣所に等身鏡が掛かっている事が有る。否応なく立たされる。新樹光の中のように思わず眩しく目を細めて直視できない。
帽子:おー、ひさびさに出た超ナルシシズム俳句。

樹下にゐて白痴迫真の笑ひ   山口あずさ

特選:ぴえたくん しんく 逆選:一郎 

ぴえたくん:樹下に居る白痴が、ではなく樹下に居て、樹に操られているのがとてもこわい。はくちはくしんのえまいとは、ああ、こわい。。。
しんく:大阪には伝統的に「アホ芸」というものがある。平和ラッパ、藤山寛美、坂田利夫、ジミー大西、浪花突撃隊の、たいぞうはどこに行ったのだろうか。
一郎:無神経さに対し怒りを感じる。
帽子:この題材なら有季定型でじゅうぶん作れる。もったいない。でも<迫真>てことはほんとは<笑ひ>たくないのか。

夜の水橋上まで来てはやく来て   南天

特選:明虫 一郎 逆選:ぴえたくん 

ぴえたくん:読んでいてあんまりいい気持ちがしないので。。すみません。
帽子:<橋上>という語が妙に浮いてる。もっとほかになんかあるでしょう(ないかな)。構文に類句があるが句全体の雰囲気は買う。
明虫:女性の声に呼びかけられた水(男)は、筋肉も手も足もないので能動的によじ登ることはできず、表面張力か毛細管現象かで受動的に橋脚をずり上がってゆく。情動がそうさせたのか、女神の差しのべた手か、なにかの力なのか。自分を投げ出した受動ができれば怖いものないのにね。

湯上りの姉妹卯の花腐しをり   ぴえたくん

特選:鉄火 萩山 逆選:健介 

鉄火:この姉妹は触れるものすべてを腐らせてしまいそうで、こわい。怪奇とエロスが入り交じったような感覚がいい。
健介:その頃に降る“雨”を指す呼び名である「卯の花腐し」ではなくて「卯の花腐しをり」だというそれ(主語)が「湯上が姉妹」である(そう読めてしまう)とは、私には想い描けない。でも作者はそう捉えられたようですけど…。
萩山:鄙の温泉宿の姉妹と季節の情景が目に浮かぶ
帽子:つまり<姉妹>が雨を降らせているということか。ちょっとおもしろい。「湯上りの姉妹」なんてそれだけで逆選ものの書出しから、季語をばねによく飛躍させたと思います。言語遊戯の妙。

2点句

どや街の樹下に日暮らしみどりの日   いしず

しんく けん太 

けん太:だいぶ説明的なんだけれど、「みどりの日」で救われている。
しんく:記者ハンドブックによると、ドヤ街は差別用語で、簡易宿泊所の集まっている所と言いかえなければならないらしい。それでは句になりにくいし、あしたのジョーは、簡易宿泊所が集まっている所のヒーローとなる。
帽子:陳腐。ユーミンには行かないけど…。

樹林の奥にカタカナ生まれるところあり   山本一郎

満月 あずさ 

あずさ:言語の造幣局みたいなところなのだろうか。
帽子:大胆な字余りと<あり>の文語調のミスマッチがよい。
満月:カタカナ・・・カタカナって感じはしないんだけど、ひらがなって感じともちょっと違う。もちろん漢字じゃないな。そうか、もっとカタカナをよく匂ってみなければ。

万緑の滅びて喫茶「樹理亜」かな   鉄火

斗士 またたぶ 

またたぶ:「樹理亜」が「ジュラ紀」を連想させるのがミソ。
斗士:「樹理亜」のセンスに一票。
帽子:そういう困った名前の喫茶店がいごこちよかったためしがない…とは限らないところが世の中の難しさですね。<滅びて>がいい。

夏芝居悲しき風紋ばかりなり   宮崎斗士

朝比古 (h)かずひろ 

(h)かずひろ:忍び寄る秋の気配を感じます。
朝比古:風紋ってあえかに悲しい。ただ、夏芝居は失敗であろう。悲劇の舞台に風紋がセットされているのかななどと、いらぬ詮索をしてしまう。
帽子:<悲しき>が嫌い。中七の字余りも野暮。
明虫:「悲しき」をこのように使うのはせっかくの句をそこねてしまう。夏芝居が悲しい、といえば日常表現的だし、悲しい風紋、でも風紋のイメージを狭めてしまう。夏芝居と風紋の対比が新鮮で強烈なのだからもっと別の切り込みをして欲しかった。

蜂を放しゆったりと身を揺らしおり   またたぶ

明虫 満月 

満月:今月はゆったり系に惹かれる。身を揺らす感じがいい。<蜂を放>すまでが大変なんだよね。
明虫:主語(花をつけた草木)をわざと隠しているのでしょうが、(小さな昆虫が草木や蛙を見たとき感ずるだろうと同様)主体が客体を捉らえきれない奇妙な感覚です。
帽子:無駄な語が多い。

癌告知やみにかがよふあやめぐさ   秀人

秋 健介 

秋:癌の告知を静かに沈着に受けとめている姿がうまく表現出来ていると思います。内容からしたらこれが特選でもよかったかも。
健介:<花あやめ闇にかがようふ癌告知>とする方がより好ましいと私は思いますが…。
帽子:重い。句としてのバランスに問題を感じる。上五と<やみ>が近い。

宗教の抗ってゐる夏木立   明虫

谷 薫 

薫:「の」で切れているのでしょうか?
谷:宗教の抗争はこんな生易しいものではない、と思いつつも、日本での抗争はこんな程度なので、表現がまとまっているからと取ってしまいます。
帽子:えらく大づかみで緩い。

蝮剥く力残して河原住み   いしず

特選:一之 逆選:凌 

帽子:<河原住み>とは、むかしの「部屋住み」みたいなもので「<河原>に<住>んでいること」なのか。中七があざとくて採れない。
凌:「蝮剥く」と「河原住み」が近すぎて、いい気持ちがしない。

パラサイト渋抜きされた味しぶい   秋

薫 しんく 逆選:一之 

しんく:最近よく耳にするのがパラサイト症候群、すこし前ならピーター症候群。こういったものを見つける人を私はコロンブス症候群と名付けたい。
薫:げんげんの腕もそうだったが、私はおまじない的言い廻しに弱い。これ、意味不明なんですがパラサイトシングルのこと?
帽子:中七、なにを言っているのか…。少し辞書引いてみたらどうか。
1点句

樹の匂ひ夏のたそがれ少年期   足立隆

一之 

健介:一見するとよさそうな雰囲気、でも(そういう感じの語を)並べただけの“もろに三段切れ”。
帽子:井上陽水三題噺。ユーミン行きのおポエム(オヤヂ臭あり)。

紫陽花は樹なり憤怒の舌のばせ   南天

凌 

凌:紫陽花は樹であり憤怒の舌を持っている。俳句だから書ける。
帽子:後半が観念的。

子の追いしボールを隠す春の草   萩山

(h)かずひろ 

(h)かずひろ:アスファルトの校庭でもボールはよく失くなってました。
帽子:陳腐。ユーミン行き。

延々と笑顔の群れる新樹かな   けん太

一郎 

帽子:これでは<笑顔>が蟲のようだ。しかも<延々と>。かなり気持ち悪くて素敵だ。天然か戦略かわからないけど。

目隠しをされ通り過ぐパンの町   足立隆

しんく 

しんく:TVチャンピオンの一場面。中村ゆうじが問題をだします。「さて今通りすぎたパン屋の店名は?」
健介:設定の唐突さが場面の把握にまでは昇華しきれないのだけれど、率直に魅力が感じられた句ではある。その光景は実に印象鮮明であるし……。
帽子:緩い。

早乙女やカミュの樹液をサルトルに   しんく

鉄火 逆選:秀人 

鉄火:これからは水田を見るたびに、この句を思い出しそうだ。
健介:正直に言いまして、この手の句をどのように鑑賞すれば宜いのか、その術を持たない無教養甚だしき私です。おそらくは無知なるが故、この句のなかに面白そうな感触を見出すこと叶わずにおります。悪しからずご了承ください。
秀人:意味不明。固有名詞に頼りすぎ。カミュとサルトルを17文字の中に詰め込まないでいただきたいのですが。お願いします。怒らないでね。
帽子:発想が古い。

突発性単純呼吸きれいな日   谷

薫 逆選:(h)かずひろ 

(h)かずひろ:確かにそんな気分の日はある。題材としては面白いと思います。
薫:言葉に無駄がない。初夏の季節を感じさせてくれる。
帽子:中七がよくわからないが、下五の落としかたに引かれる。

前世は蚊で叩かれて死んだの   山口あずさ

満月 逆選:隆 逆選:しんく 

しんく:この句だと前世が蚊に叩かれて死んだみたいなので「で」はいらないと思います。さらに、前世というものを信じない私にとっては、やはり逆選。
朝比古:パロディー句としては弱い。この手の句は定型に収めたほうが、余韻が残る。
帽子:それでじゃんけんで負けて螢? たいへんですね。身が持たないよ。
満月:子供の想像か、催眠で前世にさかのぼったかのようだ。<叩かれて死んだ>などということをそのまま口にするとは、無邪気という邪気を感じさせられて、計画的無防備の印象に一票。

ざわざわとざわざわざわと鬼女の棲む   ももこ

一之 逆選:南天 逆選:秋 

秋:上10文字が勿体無い。これで分かって欲しいというのは手抜きではないか。そこを表現していくのが文学だと思うのですが。
南天:草原や樹上に鬼女、というのはけっこうあるような・・・
帽子:先月の「義理義理っ…」と同じ作者か。「鬼の棲む三日月を見せ肩ぐるま   林田紀音夫」や「この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉   三橋鷹女」あたりを読んでください。当句会では擬音擬態語の句は手抜きか媚びばっかりですね。準逆選。
その他の句

桜蕊いかせたる樹の忘我とも   またたぶ

帽子:植物エクスタシー俳句。見立て一発なので、作者本人が先頭切っておもしろがってらっしゃいます。

菩提樹は学寮ですしぶいパフォーマンス   秋

帽子:<しぶいパフォーマンス>がおもしろくない。

樹状突起に青葉木菟引っかける   杉山薫

あずさ:巨大百舌の速贄
帽子:775にした意図は? 「青葉木菟樹状突起に引っかける」のほうが素直で好き。

精液過多は樹となる途切れない記憶   谷

あずさ:過多っ過多っ過多っ。
帽子:このつめこみすぎがいかにも古い。

太陽だ。薔薇を真っ赤に彫ったのは、   いちたろう

またたぶ:「みんな太陽のせいさ」カミュ症候群。
帽子:大正時代の口紅のキャッチコピーというか、原始的パワーが溢れている。この臭さ(けっこうホメコトバ)が魅力かも。最後に「(笑)」をつけててほしい。点と丸の顛倒もなかなかだ。

白南風を樹々は覚えているかしら   しんく

あずさ:あの白いブランコ〜♪
健介:さぁそれはどうかしら…。
帽子:これはおポエムではない。極端な台詞臭さによって作者本人から離陸してしまうだけの遠心力があると思う。…が、ストレートにこれを採ってしまう人がいるかもしれないと思うと怖い。

ゆくゆくは初夏の風に混ざりたい   古時計

逆選:あずさ 

あずさ:<ゆくゆくは初夏の風に混ざりたい>というような希望を詠むとどんな句になるのか?と思ってしまいました。
またたぶ:私も風葬にはちとひかれてます。
帽子:<ゆくゆくは…たい>の構文に目をつけたのがいいと思うけど、中間に入れる語がおポエムなうえに、音読みで字足らず訓読みで字余りでリズム悪し。まだいろいろできるはずでは?

俺の糞海溝を馳す系統樹   明虫

逆選:鉄火 

またたぶ:イントロが兜太的。
鉄火:「俺の糞」はいいと思う。中七下五が深遠すぎてついていけなかった。
帽子:マイペースな句ですね。<海溝><馳す><系統樹>とひたすら飛躍を狙ったか。

午前2時既視感(デジャヴ)おぼえしその香水   (h)かずひろ

逆選:満月 

あずさ:午前2時の香水はいやだ。はやく風呂に入って欲しい。
健介:《香水を冬色に既視感の街》という句を私が作った時分にチノボーさんに訊ねたところ「既視感」の読み仮名は(デジャヴュ)とするのが最も正確だと仰ってました。一応ご報告まで。私の句とこの句とどちらが佳いかは別に致しまして…。
帽子:既視感なんてものをことさらに取り上げる自意識過剰はわきにおくとしても、既視感は「デジャヴュ」です。発音違う。<デジャヴ>では『Gu-Guガンモ』じゃないか。
満月:昔の彼女って?あーもーやんなっちゃう。構文もこれからどうなるか、というところでちょんぎってしまった短歌の上句。

人柄のにじむ絵手紙手にとりて   萩山

逆選:帽子 逆選:斗士 逆選:いちたろう 

いちたろう:中には、こういう句を目にして呼吸困難に陥る人もいるんじゃないかと思います。あまり人を苦しませないでいただきたいものです。ぼくは誠実に句を読み解きたいと思っておりますので。まず、この句は句として提示している意味がはっきりしていませんね。句の構造もしり切れトンボで、中途半端で、形をなしていません。「手にとりて」、それで、どうなのでしょう。手にとったこと自体に意味があるのでしょうか?でも受け取り手の「手」は何も語っていません。それに、「人柄がにじむ」という言葉はどのような効果があるのでしょうか?作者は、自分の句について原稿用紙1枚でも解説が書けますでしょうか?ぜひ解説を読ませていただきたいと思います。
帽子:今回を入れて今年はあと6回、向上句会があるわけですが、下半期逆選を選ばなくていいからこの句に逆選6点あげたい。理由はほかの人が言ってくれると思いますが。そもそも絵手紙などという醜悪愚劣なものに人柄をにじませて送るなんて、ストーカーにも劣るぞ! 相田みつを/榊莫山/片岡鶴太郎/326的文化はいますぐ帰ってよし!
斗士:「人柄のにじむ」が大雑把。「手にとりて」もそのまんまという感じがする。