1999年下半期 青山俳句工場向上句会超特選大会選句結果

(長文注意!)

超特選大会もこれで4回目。1句選出という無茶な企画にお付き合いくださって、ありがとうございます。
メルマガ効果もあって、さまざまな方から選句ご協力いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。半年ワンクルーの青山俳句工場向上句会。インターネット人口の増加がそのまま参加者の増加につながるかどうかはわかりませんが、引き続き過激に展開してゆきたいと思います。
なお、青山俳句工場の新企画といたしまして、歴代の超特選句会参加作品を「青山俳句工場スーパーみじ」として、おみくじ形式でご紹介することになりました。
じぶんの句をおもちゃにされたくない!という方は、山口までご一報ください。
おみくじの中から速やかに除外します。
おもちゃにされてもいい方は、おみくじでじぶんの句を引くなどして、お楽しみください!
今後ともどうぞよろしくお願いします。

向上句会とりまとめ:山口あずさ


選句協力:宮崎斗士、摩砂青、満月、白井健介、千野 帽子、中村安伸、足立隆、後藤一之、いしず、けん太、なかはられいこ、ぴえた、またたぶ、花山良太、山本一郎、室田洋子、小島けいじ、城名景琳、神山姫余、西野万作、超走、朝比古、鉄火、田中亜美、夜来香、柚月まな、林かんこ、秀人、凌、田島 健一 、空子、いちたろう、桜吹雪、すやきん、miwa、Yuno、山口あずさ


全体的な感想

けん太:今回も本当に悩みました。1句に絞り込めないんですよ。最終的にはエイ!ヤ!で決めました。大きく分けると、あくまで言葉にこだわっていく句と仕掛けあるいは構成で読ませていくタイプがあるように思いました。どちらにも思わせぶりな(個人的な見解ですが)世界が登場しているのですが、それが見えるのはやはり底が浅いのでは?そんなことを考えながの選句でした。
ぴえた:逆選にも特選にも同時に選ばれていた気がする作品が多いことに驚きます。好きだな〜と思う作品が多くて選ぶのに困りました。おもしろかったわん(^.^)
まな:この特選句の中からたったの一句。単純に好みの句を選ぶか、それとも自分を奮い立たせるための勉強的なものを選ぶか。非常に悩みつつも、結局自分の感性に依ったものから選んでしまいました。他に気に入っていたのは<緑野よ平行線は可憐です><目障りな柩だ白く塗ってある><留守宅に牡丹のおいしい水がある>そして<月が出た場合: 急いで口で吸え>などです。ところで<月が出た場合>を思い出すとき、何故か某スネー○マンショーなんかが出て来ちゃうんですけど、ダメですか。
景琳:さすが特選ということで,濃厚な秀作句ばかりでした。淡泊な軽いタッチが,好みなんだけど。。。(ないものねだり病中)
秀人:まあ、技巧に走るのも、いいのでしょうが……。ストレートで勝負できる人間になりたいものだなと、感じました。
超走:興味深い作品を10句程度選びその中から特選句を選んだが、ずば抜けたものが無く特選を選ぶのに困った。水準が高く参加する楽しみはあるが、全体的に器用でお利口さんの感じ。
帽子:超特選大会では逆選は選ばなくてもいいんでしたよね。今回は手前味噌に、自分の句のところで選者のかたや「つっこみ句会」でコメントくださったかたにお礼を述べさせていただきました
万作:どの句も楽しめました、ありがと。そしてふと、上手な生活人と、言葉工芸人との両立、ということを、考えました。
満月:なんだか「なんだこりゃっ!」という暴力的なまでの冒険句が見あたらなくなった。私も問題だ。
洋子:特選句がこれだけあると、選句が大変でした。やっぱり好きな句になりました。
:俳句の巾の広さ、ある部分は川柳とクロスオ−バ−しながら、別の句は一行詩とまぎれながらしっかりと俳句であろうとする。その試行錯誤に悲壮感のないのがいい。言葉を自分の方へどうねじ曲げるか、常識や規範から逸れながら、言葉に自分だけの秩序を求めようとする自由さががいい。
:超特選を選ぶ。しかも一句。苦痛ではありますが、結果は楽しみ。
健介:「冬眠したい」という強い欲求に押し流されかけている今日この頃、もう少し言いたいことはあるけれど、また今度ということにいたしましょう。ではまた……
斗士:「海」「指」「白」「夜」「不」。。わがまま気ままな題におつき合いいただき恐縮しております。参加者の皆様、どうもありがとうございました。ヒシヒシと手応えを感じています。

超特選3点句

猫ふいに海のかたちにもどりけり   満月

まな 桜吹雪 超走

まな:いくつか迷ったものがあったのですが、やはり一番気にいっていたこれです。正月早々、11年も連れ添った猫が行方不明になり、「もう帰ってこないかもしれない・・・」と思ったとき、この句を思い出しました。結局彼女は、どういうわけか何度もよく見たはずのいつものねぐらから出てきて、本当に私は腰が抜けるかと思いました。でもきっと、いつか猫たちはいなくなってしまうのでしょうね。そんなとき、「海のかたちに」戻っていくのかもしれません。
桜吹雪:季語もない。文体としては、最後の切れ字まで読み下せる文体でさして新鮮でもない。しかし、この句は形のないものの本質を表現した点、今回の特選句会では無類のものである。魔性をふくんだ猫の得体のしれない性質とその自在に変化する体。そして、形をとどめない海の性質を言葉でうまく繋ぎとめている。ふいにという副詞も一句の中でよく響いている。
超走:猫や海をよく感じ取っている。猫や海という情の質に個性が感じられず一般的でありながら、このような表現をする感性は個性的と思う。つまりわかりやすくて独特。「ふいに」は説明的で疑問。
作者/満月:子子さん、桜吹雪さん、しんくさん、特選ありがとうございます。さて、この句にはずいぶんたくさんの点、感想&つっこみを入れていただきました。「海のかたち」「ふいに」に対する議論が多かったですね。作者としてはこの「かたち」は形状ではなく、象(かたち)、ありようのようなものとして(言葉を)えらびました。猫なる不定形的存在は、実は海が仮にかたちをとって今ここにいるものかもしれない、と。猫には限りなく“海性”を感じてしまいます。まひるさんの「猫と海は字面が似ている」というのは指摘されて初めて気付きました。ほんとだ!「ふいに」の語には安易な印象が起こりやすいので迷いました。私には、人間が“こいつは猫である”という意識をはっきり持って見ていない時、きっと本性の“海”に戻っているんだ、という気がいつもしているのです。ここはたとえば「うっかり」というような、猫自身が「しまった」と思いそうな「化け」の世界ではなく、人間側の錯覚が破れる瞬間を描きたかったので、結果的に「ふいに」以外の表現ははまりませんでした。また、最後の「けり」は、ここで断定し突きつけなければ、この曖昧さを納得させる手段はないという意識が選んだ締め方?のようです。なお、攝津幸彦の句との比較は、書こうとしている方向や作者の思想が全く違うので比較のしようがないのでは、と思います。「抛らば・・・」が人間の自意識、人間中心の世界で洒脱に書かれているのに対し、「猫ふいに・・」は自我を離れ、アニミズムへと解放していく方向でゆるやかに書かれており、一句の意識の方向性も作用もまったく反対に思えるからです。また、この句は攝津作品としてはかなりつまらない方に属すると考えています。しかしながら、こういう比較の試みは面白いと思いますし、中村さんにはいい刺激を与えていただいたと感謝しています。

すれ違ふ人の中から骨の音   足立隆

いちたろう 夜来香 一之

いちたろう:はっとする構造。「出会い」ではなく、見知らぬ人との間に数多くある「すれ違ふ」というベクトル。作者は無関心でいられる「すれ違う」ことに意味を感じ取り、さらに目には見えない「骨」の音まで感じ取っている。かっこいい。
夜来香:無季、現代句とはこういうものなんだと青山に来てみて、実感した句。そして、たびたび雑踏の中を歩きながらこの句を思いだしています。いつまでも生き残る句だと思います。

超特選2点句

斜塔あり金魚のなかの海晴れて   またたぶ

れいこ 帽子

れいこ:前回の句評で「猿の惑星」を思い出すとか言いましたが、読むにしたがって、どんどんアラーキーの写真のような世界に変化してゆきました。真夏の午後の窓から見える景色。前面の窓際には光を反射する金魚鉢があって、遠景に斜塔が見える。モノクロ写真なんだけど、金魚だけが赤い。なんだか古い記憶の底にこっそり触れられたような気がしてぞわぞわします。
帽子:なんといっても「斜塔」「金魚」「晴れ」の語感だ。思えば「海」がお題だったんだよな。ここまで跳べるのはすごいと思います。イメージがわけばそれでオッケーな、無理に意味を求めるのは酷な句だけに、作者ご自身が「つっこみ句会」で自解せざるをえなくなってしまったのが残念といえば残念(「第16回選句結果」参照)。
あずさ:ダリ「ポルト・リガトの聖母」が浮かんできました。第16回のときには、つかめなかったのですが、やっと絵が浮かんだできました(←鈍)。聖母の体が透けてその中にキリストが浮かび、その体もまた透けて、その向こうには海が見える。なかなか感受できずにたいへん失礼しました。
ちょっと感想
まず、特選ありがとうございます!!「つっこみ」でいたずら心を起こして、ブルーシャトーのちゃちゃなんか入れてしましましたが、あれは「ちゃちゃ」でして、自解ではありません。自句に照れて茶茶など入れると、あらぬ誤解を受けるという教訓を得ました。どうも。
帽子:えっ。以前のクールオンラインのtree bbsのときに、山本一郎さんの問に 答て、No.286(1999/9/22)で「金魚は淡水魚ですから、体の内はおろか外にだって海はありません。物理的常識的な意味では。でも、あらゆる生物が海から進化したように、生物の体内は海になぞらえられるかのような生命力に満ちているのでは、と思います。金魚のなかの海はいわば観念上の海ですが、それに「晴れている」という具象性が与えられたこどで、金魚という小魚が宇宙的広がり(は大げさか)を帯びてくる。ただし、「斜塔あり」とどう結びつくのか、その組合せが効いているのかは判断がつきません。「斜塔あり」は別に生かして、他の上五が探せるのではという気がします。」とお書きになっています。もちろんこの発言は作者名が明かされる前の「ただし」以降は、いまとなってみると作者ならではの「自分つっこみ」とは思いますが、それまでの部分は自解では? (関心のある方はこちら!
なんにせよこの句はとても好きです。
またたぶ:後悔先に立たず。こんな、まじつっこみを入れた前科が残ってるようじゃ、身も蓋もない。自解は控えてるつもりなのに、問われて箍がゆるんだのか……
俳句は17文字の勝負。どんなリッパな構想だろうと、読者に伝わらなければただの自己満足。以後自戒します。
(帽子: なんにせよこの句はとても好きです。)
この武士の情けのようなフォローに泣けます。
帽子:<自解のこと>自解は、できるだけ避けるというようなストイックな風潮もあるようですが、ぼくはけっこう、人が自句の成立事情を語っているのを訊くのは、好きなんです。だから自解そのものが嫌いなわけじゃないんですよ。自解してほしい句と、そうでもない句とあって、この金魚の句は後者でした。
またたぶさんがあのtreeでおっしゃった内容は、句を読んだだけではぼくには伝わらなかったし、それを読んだいまでも、あの解説より句のほうがずっと上だと思ってます。作者が言った内容と違うイメージを持って読んで、読者が満足して超特選にしたんだから、自己満足とは関係ないと思いますよ。俳人が必要以上に自分に厳しくしたりするのって、ぼくはよくないと思ってます。
またたぶ:前の自分のコメントをちゃんと読み返してみたら、自解のことなどしゃーしゃーと忘れて、あたかもチノボーさんが誤読したかのような文面だった……この場を借りてお詫びいたします。このツリーごとブラックホールへと消えてくれ

クロールの指先にある未来かな   鉄火

空子 秀人

空子:クロールの指先に、キラッと光るけれどもなかなかつかめない未来がある。とても上手く表現されていると思いました。
秀人:クロールの指先に未来が見える人は、世界中にそれほどいないと思われます。プールや海でクロールをするのもいいですが、クロールはやはり川でやるものでしょう。この人は川でクロールをしている。それなら当然、特選でしょう。
作者/鉄火:泳ぐことでしか未来を開けないと信じているような狂おしさを滲ませたかったが、その点は力不足。素直な句として自分でも気に入っている。

白濁の嘘聞きながら茉莉花茶   越智

斗士 洋子

斗士:静かな時間が描かれている。その静かさが僕のツボにはまった。茉莉花茶がますます好きになった。
洋子:「白濁の嘘」がいい!!とても好きな句です。

踊り子の寒林へ打つタンバリン   朝比古

すやきん 隆

すやきん:なんだかリズムがいいですねえ。こういうのが私は好きなんです。尤も、楽器の名前が出ると俳句の中で音楽が鳴っているように感じるもんね。
隆:大江健三郎「宙返り」に踊子(ダンサー)と呼ばれるヒロインがいます。彼女はタンバリンを叩いたりはしませんが、気丈夫なしっかりとした女性です。そんなことを思い出します。特選の中の特選を選ぶ基準としては曖昧ですが、この句のイメージが気に入っています。

ヒト絶えて鬼皓々とウラン焚く   林かんこ

鉄火 姫余 逆選:朝比古

朝比古:青山では話題句のようですが、私にとっては、ただ説教臭いだけ。
鉄火:「ウラン焚く」の非凡さを買います。
姫余:無気味さが伝わってくる。「ヒト」をカタカナにしたのが、作品をまるで無機質までに冷たく引き締めているようだ。この捉え方に魅力を感じた。

超特選1点句

恋愛や書棚に青葉木菟を飼う   宮崎斗士

朝比古

朝比古:やっぱりイイなこの句。ただただ、好きです。
作者/斗士:恋と読書って、なんか密接な関係があると思う。

ちょっと感想
ぴえたくん:ひそかにほれこんでいる作品が実はもうひとつありまして、それは「恋愛や・・・」そう!工場長さまのです。工場長さまの作品に流れる風はとても心地よくて好きです。

簡単なつくりの九月白く塗る   杉山薫

いしず

斗士:「九月」がピンとくるかどうかですね。
あずさ:九月には申し訳ないが、なぜか簡単なつくりなような気がする。日にちの少ない月、2、4、6、9、11のうちで、4月はやっぱり新年度が始まって桜が咲いてと華やかな印象があるし、6月は梅雨空が重苦しいし、11月は木枯らしが冷たいし、2月は日にちは少ないのだけとときどき1日増えたりするし、、、9月も新学期の始まりではあるが、やっぱりインパクトが弱いみたい。夏休み疲れというのもあるかも。

海の家声のおほきくなつてをり   朝比古

健介

健介:言うなれば最も“どうでもいいこと”を俳句としてちゃんと成立させているのが佳いと思う。

夜の扉押せばざわざわする芒   凌

満月

満月:この世の裏側にも何か別の生き物?達が蠢いている世界が・・・というこの句が、やっぱり一番好きだった。他に<大枯野人の出てくる穴がある><途中では厠混みあう黄泉の国><紅葉山体操服の子の入りぬ><木枯に追越されたる駝鳥かな>などがよかった。<魔はいつも右からさして芒ばかり>は某句会では特選を入れたんだけど、こうやって並べてみるとちょっと言葉が多かった。残念。どうしても亡霊が出てきそうなものに惹かれるようです。

本日はお日柄も良し狐罠   ぴえた

良太

作者/ぴえた:もう、もう、めっちゃうれしかった! TILLの選者様3人様ともうお一方に選んでもらえて、わたくし舞い上がりました。昨秋買ったばかりの歳時記をぺりぺり眺めていて、なんでこんな時代錯誤な言葉ばっかり並べてるねん、使われへんやんか〜と投げ出しかけた時、ふと目にとまった「きつねわな」歳時記買ってよかったわん\^o^/
あずさ: 狐罠って、狐の仕掛けた罠という解釈は成り立たないのでしょうか?これは狐に対して人が仕掛けると読むのが正しいのだとは思うのですが、わたしは狐が仕掛けた、というふうに読んでしまったのです。
満月:ああそうか!私はそこのところで躊躇して採らなかったようです。人間が仕掛けた、と普通に読むと<お日柄も良し>と言っている人物が狐を捕らえようとしている。でもこれは、そう言っている人物が次の瞬間狐が仕掛けた罠にかかる、と読みたかったので、頭がちょっとうまくつながらない感じになってしまいました。素直にそう読めばよかったんだ。
あずさ:わたしは<お日柄>が<良し>であることが<罠>と思ってしまった。だから第20回のコメントに「狐の嫁入り」と書いたのです。素直に、お日柄の良い日に<狐罠>をしかけると読んだ方がいいですね。三島の『金閣寺』だったか、人間が残虐になるのは春のぽかぽかした平和な午後だ。というようなことが書いてありました。虫の一匹でも殺してやろうか、と思うのは、実に、お日柄のいい日なのですね。
ぴえたくん:うーむ、話せば長くなりますが、ぴえんちのある市はまだ江戸時代で、婚礼の荷物を嫁ぎ先に運ぶ際、絶対バック後進してはいけないと、大変な騒ぎで運んで行きます。もちろん長持唄が歌われる。荷の中の目のあるものは(お人形とか)全部目隠しを施して持ってゆきます。(書いてていやになるよ〜)長持ちを担いだ竹の棒を、受け取った花婿さんがぐしゃんと叩き潰して儀式は終わるようです。はあっ。。。
婚礼の儀式至上に奔走している人たちに出くわすと、とても痛い恐い思いをいたします。わたしは「狐罠」と言う季語を発見した時、おお、痛いやろなあ。。。ばしゃんとアンヨを挟まれたらどんなに痛いやろ、と突如キツネに変身したのです。うーむ、何が言いたいのかよくわかりません。失礼いたしました。。
あずさ:「婚礼の荷物を嫁ぎ先に運ぶ際、絶対バック後進してはいけないと、」
これは戻らないということでわかりますが、(婚姻って、過酷ね。)
「 目のあるものは(お人形とか)全部目隠しを施して持ってゆきます。」
これは、何で? なにかとても象徴的な感じがするけど、どういう理由なんだろう? 女は見ない、観察しない、というような感覚ってあったような気がする。愚鈍な男に限って、そのようなことを信じたがる。。。というか、何というか。
あと、長持唄って、どんなの?興味津々っす。
ぴえたくん:「目のあるものは(お人形とか)全部目隠しを施して持ってゆきます。」
これも戻る道を花嫁さんに教えないようにと聞きました。もろにオカルトです。しかしこの様にして嫁いだ妹は、しょっちゅう来ています。。。
女は見ない、観察しない?そう言う要素も多分に含まれていたのでしょうね。めっちゃいや。
長持唄は、よく覚えていませんが、お天気も日も最高にいい、と言う内容だったような気がします。のびやか〜な雰囲気でした。唄を聴いた瞬間、あ、妹が出て行くんだ、ときゅんとしました。今は荷物を出す日と結婚式の日が違っていたりするけれど、昔は花嫁行列を送り出す唄だったはず。。だからかな。
あずさ:(ぴえた: これも戻る道を花嫁さんに教えない ようにと聞きました。もろにオカルトです。)
行きはよいよい、帰りは怖い、みたいですね。。。ーー;嫁に逃げられたオヤジが怨念で作った習慣だったりして。
(ぴえた:しかしこの様にして嫁いだ妹は、しょっちゅう来ています。。。)
現代っ子! 大阪府知事が土俵に登れるといいですね^^!(唐突ですが。)

海遠し背中上げ下げする蛙   またたぶ

かんこ

かんこ:背中上げ下げする蛙。いいですねぇ。近景の小さな蛙の遠い海への憧れと渇望のほほえましい動作から、大きな海が見える。これは夏の海ですね。私も蛙に同化する・・・。伸びやかになる・・・。大きな句。好きです。

弁慶になりたし鬼灯市の夜   宮崎斗士

ぴえた

ぴえた:鬼灯市って季節はいつなのかな?わたしは風の中で初夏の夕刻の風が一番好きなのですが、この作品にはその風を感じます。別に強くなくてもいいよ、ありのままのあなたが好き、そう思って横を歩いている恋人を愛しく思う男性のやさしさがほのぼのと伝わって来る作品だと思います。
作者/斗士:鬼灯市は一人で行くとけっこう寂しいかもしれない。

大枯野人の出てくる穴がある   後藤一之

けん太

けん太:園山俊二の漫画にあるような無邪気な世界をイメージしました。押しつけがましくなく、大きな主張があるわけでなく。それでいて、読む人をほっとさせてくれる。ボクには書けない・・。

終戦日カメラに黒き布垂れて   朝比古

Yuno

Yuno:風景がきれい。

薬局のように海月(くらげ)のうごくなり   宮崎斗士

亜美:喩のたくみさ。
凌:哲学とか思想といった大げさなことでなくとも、作者の考え方とか気持ちの見える句は読みづらい。一句は作者から離れて自由であってほしい。そして句の底に作者の影のゆらいでいる句がいい。言葉をもって眼前に示されたある筈のない光景が、青白い臨場感をもって揺らいでいるこの句は、私の喪っものや不安感をかきたてる。
作者/斗士:海月、一日中見ててもたぶん飽きない。好きです。

生命線に沼閑散と紅葉す   中村安伸

あずさ

あずさ:第19回のまたたぶさんの一人特選句。<生命線>をわたしはやはり手相の生命線と思った。運勢がよくないときに限って占いが気になる。沼は閑散としていて孤独な光景。誰にも知られることのない紅葉。この紅葉は沼の藻が紅葉しているのだろうか?(そんなことってあるんだろうか?)それとも、一人静かに紅葉しているのはわたしなのか。

蝉しぐれ海は小さく欠伸する   鉄火

万作

万作:一句だけ選ぶというのが、つらいですが、昨夏は、蝉時雨に凝っていたので。蝉時雨の中で蝉時雨のシャワーを浴びると、海もこうなるかな。作者様、遠くで蝉時雨に追っかけられていると、海は、どうなりますか?
作者/鉄火:典型的な大小の対比で、しかも反比例。夏の午後の空虚な感じをつかまえたかった。

冬階に藤原不比等が咲いている   満月

安伸

作者/満月:中村さん、ぴえたさん、特選ありがとうございます。「階」の読み方について、自作ながら延々と解説してしまいました。以前短歌をやっていた私は、短歌で普通に使われる言葉や言い回しが、俳句では意味や読みどころか語の存在さえ知られないということが不思議かつもったいない気がしてならないのです。昔々、俳諧は雅から俗へということでみやびな歌ことばやその本意本情を排したわけですが、現代は俳句自体がすでに雅の側に意識されている部分を強く感じます。むしろそこに歌ことばや短歌的な表現を持ち込むことはそれまでの美意識を破壊する「俳」の精神として「あり」なのではないか、としての試みの一環です。最後のチノボーさんの「冬階」という語そのものが存在しないのでは、というご指摘は、まさしくそのようですね。何度もあちこちで見かけた言葉だった気がして、いつの間にか勘違いしていたようです。ご指摘ありがとうございました。それから、やはり私のイメージとしては、この階段は庭や山道などを削ったり石を積んだりして作った段々なので、「階」という木造の梯子状のものでなく、「段」の字を使うべきだったようです。

ちょっと感想
ぴえたくん:わたしは藤原ふひとの句の作者が満月さんだったことに非常に感動しました。そして、作者の弁で「段」にすればよかったとおっしゃっていますが、ふひと時の権力者には鄙びた(わたしにはそう感じられます)段の字より、階級の頂点をも思わせる冬階の文字がぴったり決まっているのではないだろうか、と思いました。すくなくともわたしは、冬段で始まっていたら選ばなかったと思います(毅然)満月さんの作品めっちゃ好き\^o^/
満月: 感激していただいてありがとう。作者冥利に尽きます。階級の頂点としての「階」の字・・・なるほど、そういう見方もあるのですね。段という字だとごつい感じがありますが、階はしなやかに見えます。私自身の不比等の印象は圧倒的なエネルギーと知力と策謀力&もちろん体力。ずうっと見てて「段」の方が合うのかなあと思い始めているところでしたが、階級の頂点という認識には至らなかったので目が覚めたような気持ちです。ふたたびありがとう。
ぴえたくん:「段」にかわらなくてよかったわん(^.^) 何にひかれたのか悟っていなくても、一文字置き換えてみるだけで魅力を再認識できるのですね。とてもいいことを覚えたような気がします。\^o^/

薬屋はやや柔らかい膜である   凌

亜美

亜美:強引な修辞(やや、、、である)がそれなりに効いている。散文的でも<月見ればつめたくて当然だと思う>との評価の違いは、や音のふやけた韻律とそれをひきしめる断定のであるの響きのコントラストでしょうか。<薬局のように海月のうごくなり>のクラゲの比喩のほうが喩としてははるかに巧いと思うが、この句の乱暴さの方が,余韻があるよう。

ふるさとへ夏のこびとが降ってくる   山本一郎

miwa

miwaこの句をよんだとたん、自分のふるさとがあたまの中に広がりました。こびとの発想が新鮮でした。
作者/一郎:「夏のこびと」、心地よい言葉が作れたとちょっと自負しています。

夜の檸檬テーブルに置き核家族   朝比古

一郎

一郎:「今」を映そうとする姿勢に惹かれた。

右折する蜻蛉余白を産みながら   鉄火

けいじ

けいじ:全て特選句だけにいいのだが、その中にあってもやはりこの句の持つ雰囲気は私にとって一番です。
作者/鉄火:トンボがスッと横滑りして飛んでゆく、あのゾクッとする感覚を句としてつかまえられないかと思っていた。だから本当はもう少しシャープな感じを出したかった。

月が出た場合: 急いで口で吸え   千野 帽子

景琳

景琳::←これが気に入りましたぁ。
作者/帽子:「句会に出した勇気に敬意の逆選」(第17回選句結果参照)をくださった杉山薫さんのご指摘どおりスネークマンショーです。特選も2つ入ったけど逆選も2つはいった。満月さん朱夏さんありがとうございます。

月見ればつめたくて当然だと思う   山口あずさ

またたぶ 逆選:亜美

またたぶ:最初、完璧に通り過ぎてた句。「月見れば」とくると「千々にものこそかなしけれ」とかが浮かんでしまう私には、上五以下の展開の裏切られ加減が快くなった次第です。
亜美:散文的なものいいが狙いなのか。狙いというほどのやる気にもちょっと欠けているかも。
超走:感覚にずいぶん惹かれるが、この書き方では意見発表であり散文を離れていないと思う。これをどう形象化するか、その努力が必要ではないか。
作者/あずさ:第19回で最高得点句にしていただきました。深謝。句の出来不出来よりも、選句とりまとめ努力賞を頂いたような気分になりました。また、選句評に、「冷たくされて当然」というのが多かったことにはびくりしました。「冷たくして当然」以外を考えていなかったので、みんなはもっと謙虚に生きているのかも。と、しばし反省--;。

月見うどんの月を大事に夜食かな   白井健介

健一 逆選:桜吹雪

健一 :さむざむとした、でも豊かな感じがしました。
桜吹雪:そのまんま。曲折も意外性もない。繰り返しの口調のよさが救いというところ。

ぼく、バカじゃありません。海   山口あずさ

青 逆選:景琳 逆選:健介

青:この内包する空間、距離がひりひりする現実に近いとおもわれる。
景琳:、。←強烈なパンチありがとうぅ。
健介:何だかすごく“頭悪そう”って印象を読者に与えようとした感じがするというか、見過ごしにすることも何だかできなくて……とにかくとても変な感じの句ですね。逆選はこの句しかないです。
作者/あずさ:「バカヤロー」と海に向かって叫ぶ。というのは、森田健作=青春の定番。が、待てよ。海にもし人格があって、言葉を理解したら。「無礼者めっ、ざっぷーん」と飲み込んで、人間など一溜りもない。海の善意を信じ切って、海に向かって「バカヤロー」とはなんというお幸せぶりだろう。「考える海」と言えば、惑星ソラリスだけれども、海にどんなセリフを吐かせようかと、かなり迷った末の一句でありました。が、ちょっとかわい過ぎて、海がバカに見えるつくりになってしまったようです。ですが、これもまた違った意味で、海からの裏切りなわけで、人間の勝手な妄想にあっかんべーができたかなと、けっこうそれなりに自負していたりなんかするわけですね。作者としては。

超特選句

海亀が首を伸ばしてアヴェ・マリア   越智

斗士:「アヴェ・マリア」の効き方がいい。
あずさ:のびやかな海亀。SF映画のワンシーンのよう。

秋愁を濃くして夜の赤信号   いしず

あずさ:夜の赤信号って、なんであんなに濃いんでしょう。信号の独特の存在感を描き出している。

不時着の鶴の溶けたるベッドかな   後藤一之

斗士:表現の思い切りが好。
あずさ:宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の中に、鷺が地上に落ちる瞬間に消えるという実に美しいシーンがあったが、それを思い出した。溶けた鶴が体積してできたベッドで眠るとどんな夢を見るのだろう。

赤茶けた母地平線よりまた生え   山本一郎

斗士:シュール!
作者/一郎:「リンゴ切る母の背中が透きとおる」は私の母で、全くの主婦。そしてこの句の「母」は妻の母で七十数歳にして現役の百姓です。
あずさ:この句、第18回で、妖怪ものという解釈をされてしまいましたが、考えたら日没の頃向こうの方からこちらに向かって帰ってくる母と捉えることもできますね。「生(は)える」という言葉のなまなましさが妖怪解釈を産んだのでしょうが。。。「生(あ)れ」だったら、誤解されなかったかも。

はんぶんは遊びのつもり藍浴衣   朱夏

あずさ:日本の人が、浴衣を普段着にしなくなってどれくらい経つのだろう。今、普段着に浴衣を着たら、かっこいい、かもしれない。

緑野よ平行線は可憐です   松山けん太

あずさ:フリーハンドで引いた平行線の良さ、ということか。ミニマル・アートはここから生まれたんだったりして。

卓球で党首を決める狩の宿   千野 帽子

斗士:「卓球で党首を決める」好フレーズ。「狩の宿」賛否が別れるところ。
あずさ:山崎努と豊川悦司のビールのCMは、もしかしてこの句から着想を得た?!
作者/帽子:下五がつまらないと思う。『うる星やつら』的バカバカしさと指摘されたのはたいへん光栄。白井さんに感謝。

駆け落ちの汽車待ってゐる熱帯夜   足立隆

あずさ:駆け落ちって、季節を選ばないのね。人間が年中発情しているせいだね。きっと。それにしても、よりによって熱帯夜とは。

留守宅に牡丹のおいしい水がある   中村安伸

斗士:「牡丹においしい水」好き。「留守宅」薄味か?
あずさ:以前、アメリカに行ったときに、カリフォルニア米「牡丹」というのを見たことがあった。「牡丹」というミネラル・ウォーターもあるかもしれない。

折り紙の遠近夜の破片かな   超走

亜美:遠近ということばつかいが、よいと思いました。
あずさ:大人のする線香花火。大人のする折り紙。

街を出て慶応四年の夜にいる   鉄火

斗士:「街を出て」が、今もってもったいないと思う。
作者/鉄火:空間移動が時間移動になっていることの捻じれ、で満足してしまったかもしれません。上五はもっといろいろ遊べたはず、という選評は効きました。

人形の誰にも似ない蜆蝶   明虫

斗士:「蜆蝶」という持っていきかたに惹かれた。
あずさ:惑星ソラリスの赤ん坊は、とても嫌らしい顔をしていたという。赤ん坊の本質を誤解して作られた赤ん坊。人間の本質を誤解して作られた人形があれば、われわれはものすごく嫌な印象を受けるだろう。蜆蝶が作った人形だったりなんかして。こわ。(←曲解。)

鏡拭く林檎もぎ足りない夜は   岡村知昭

斗士:対比が、とてもいい感じ。
あずさ:ちょっとすけべな句のような気がしないでもない。

かなかなやゆっくり登る遅刻坂   鯨酔

あずさ:学生時代、校門までの道がちょうど急な坂になっていて、遅刻坂と呼ばれていた。どこにでもありそうな気がするが、かなかなが鳴く場所は、なくなってしまったのかもしれない。

水盤に子猫を生ける夏休み   山口あずさ

斗士:「子猫を生ける」感覚が伝わる。
作者/あずさ:「夏休み」の残酷さを書いてみたかった。自由って、残酷なんだよ。というあたりを。でも、単なる動物虐待句に終わったみたい。。。

カンナ咲く一万ボルトの拒絶かな   室田洋子

斗士:「カンナ」の感じが出過ぎたか?
あずさ:放電によって痴漢を「再起不能」にさせたいですね。究極のフェミニズム『一万ボルトの拒絶』。寄るなっ! 触るなっ! 馬鹿男っ! ビッシィ〜ン! へなへなへなら〜。と、思いました。

毒林檎万有引力ごと食べる   小島けいじ

あずさ:引力がない場所での消化ってどうなるんだろう。胃の中で内容物がふわふわ浮いているのをふわふわ消化するのかな? 科学の実際を考えると、万有引力ごと何かを食べるのは当たり前なのだけれども、言葉を選んで改めて言われると何かが生じる。詩ってぇやつでしょうか。

海坊主眠れぬままの立ち泳ぎ   足立隆

あずさ:かつてハワイのビーチで泳いでいた父は、海坊主のようであった。

すこしだけ空を動かす蛇苺   中村安伸

あずさ:みんなで力を合わせたらどうなる?

冬に入るとはポケットの増ゆること   白井健介

あずさ:ポケットを叩くとビスケットが増えるのは古代から言い伝え(じゃなくて、まどみちおの詩だよ。)だが、ポケットそのものが増えるということは、保存場所が増えるのだね。ポケットが増えると手も一緒に増えたりなんかして。。。(←おいおい。連想ゲームじゃないんだから。)

長い鏡がありまして長い列車が通ります   摩砂青

作者/青:その日は灰色でした。空も河原も、身につけたコートも。一万円近くした本の行方をたづねて、多摩川に面した駅まで来たのですが、それらしい遺失物はありませんでした。たづねた駅はこれで三ケ所目。地下鉄で物をなくしたら、あちこちのまたがっている路線全部をあたらなくてはならないのです。その本というのは、わざわざ出版社の人に頼んで割り引いてもらったもので、無くしてしまったらまた同じ本を…というわけにはいきません。全く灰色でした。河原で、鉄橋を鈍く銀色に光りながら渡る長い電車を見ていました。多分これで、この少々長い句ができたわけがおわかりでしょう。
ちょっと感想
摩砂青:少し反論させてもらいます。俳句の世界では、俳句らしい字面をしていなければならないのですか。その時書きたいリズムを、俳句のリズムにしてはいけないのでしょうか。例えば山頭火。またかの安西冬衛の「てふてふが一匹」は一行詩であり俳句でもあると思います。定型季語、切れ、すべてが動き発展してゆくものではないのですか。そうでなければ面白くないではないですか。俳句は優等生のものなのですか。また「ありまして」という言葉が、なぜ中也の専売特許なのか。僕にわかりません。
満月:「俳句」と言うときに、「歌う」あるいは「語る」という要素はやはり違うと思います。短い短歌になってしまう。私の所属する口語俳句(口語自由律=口語俳句協会系)誌「あまのがわ」ではそのようなものがたくさんあります。ここで、「俳句性」ということにずいぶん悩んできましたが、現在の段階では、「歌う」「語る」ということは俳句と反対方向だと思っています。
掲句は「ありまして」が特に歌っていると感じます。この「歌」ったことの中にある酔いが、俳句と異質な部分を感じる大きな要素となっているように思います。
「歌う」「語る」は自我が書かせる部分でしょう。俳句は自我の表出をしないことが最大の特徴である、いわば無我の詩型だと思っています。(個性を出さないというのとは違います)これは(私が「俳句」なるものの絶対の基準と思う)五七五という形から来たことで、そうでなくてはこの形で書けないと思うからです。この形を崩そうと思うとき、それは多く自我の詩になっているようにも思います。
過去、もちろん、自我の詩としての俳句の可能性もさんざん試されて来ました。自由律しかり、新興俳句しかり、社会性、等々。しかしそれはやはり基準の「無我の詩」に対する型破りという型だったと思います。これらを俳句であると主張するには、かなりの抵抗を突破する理論武装も必要かと思います。
今はなんでもありの時代ですが、そういう時代だからこそ型が求められていると感じることがよくあります。時代そのままのなんでもありで書くというアプローチももちろんあると思いますが、それではなぜそれが「俳句」でなければならないか。なんでも書いていいし、発表していいのに。
上のように、私は現在「俳句」なるものの基準として、五七五をほぼ絶対的なものと考えています。これが絶対でないと、型があるがゆえに型破りがある、という求心力と遠心力の両方ともなくなってしまう。この型を意識しないようになった時、「俳句」から脱落してしまうのではないか、と長いことかかって思うようになりました。私はいろいろなものを書きますが、そこを脱落したものは短詩として発表することにしています。(詳しくは私のHPをご覧になって下さい)
また、俳句で童話を書きたいなどと思っていたり、短歌的な要素を持ち込みたいとも考えています。そういうことをして、どこまで俳句と自分で言えるかに挑戦しています。
「ありまして」という言葉が、中也の専売特許専売特許だとは思いませんが、残念なことに中也の詩はあまりにも有名です。人口に膾炙したフレーズを使って、それを思い出すな、というのであればちょっと残酷。中也を凌駕するものを書いていただければ、大ハナマルで大歓迎です、もちろん!
最後に。俳句は不良の詩だと思っています。毒が欲しい。罪が欲しい。悪が欲しい。華が欲しい。
あずさ:わたしは「俳句」ってなんぞや?というのをあまり考えていなくて、とうのも、やっぱり詩をやっていたとか、短歌やっていたというのがないからというのが大きいかもしれない。バージンで俳句に出会ったので、これは俳句ではないというのがないのかなー。この句は、わたしはたいへん気に入っていて、それは、やっぱり風景をきちんと見せてくれたからなんです。確かにリズムはありますが。。。俳句をはじめていろんな句会に出てみると、国語の先生も多いけれども、絵を仕事にしている方がとても多い。チノボーさんは、音楽に深くかかわっていますが、出会いの頻度から言うと、やっぱり絵の方が圧倒的に多いんです。で、青さんも絵の方の人なわけだし。(※HPに掲載されている青山俳句工場の本誌の表紙は青さんです。)短歌の世界は音楽を仕事にしている人が多かったりするのかしら?なんて思うのだけれど。あ、考えたら、チノボーさんの好きな音楽はメロディーよりも、むしろリズムだったりしますか?この句に俳句には珍しくあるのは、リズムじゃなくて、メロディーと言った方がいいのかな。ま、いずれにせよ、わたしは何でもアリなんだけど。(人のこと言えた義理じゃないし^^;)
帽子:(あずさ:やっぱり詩をやっていたとか、短歌やっていたというのがない)
このへんの事情はぼくもまったく同じ。が、俳句ではないかどうかは、ケースバイケース。青山俳句工場向上「句会」に出てきているのだから、俳句かあるいは川柳としてこの「長い鏡…」の句を遇したつもりです。ただ、もしほかの場所で出会っていたら、つまり「句会」でない場所で出会ったとしたら、この句が俳句として作られたとはわからなかったでしょう。ジャンルなんて、ときどきグレイゾーンではそれくらい周囲の文脈で(読者の都合で)決まってしまうこともあるような気がします。
(とりまとめ人注意:この話はどんどんながくなってしまったので、関心のある方はこちら!)

をとこ棄つればききょうかるかやをみな美し   満月

斗士:ギクッとする。パワーある。
あずさ:棄てないでいてあげるから、言うこと聞くんだよ。わかったね。(←現在の個人的心境。)
作者/満月:輝さん、特選ありがとうございます。この句は短歌的手法を取り入れる試みでしたが、それに対して共感と反発が思った通りに出ましたね。もっと実は反発が多いかと思っていましたが。歌人のぴえたさんはさすがに短歌的なおもしろさを読んでいただきました。こういう試みが俳句としてどうなのか、ということは実はわからないのですが、何でも試みたいと思っています。閑吟集、いつか読まなきゃね。

途中では厠混みあう黄泉の国   凌

あずさ:魂は肉体の死をどのように感ずるのだろう。尿意の解消のしようがないことを感じて、魂は肉体のなさを認識し、尿意は解消ではなく、忘却される。のかもしれない。

りばいばる身体に海を感じたら   まひる

あずさ:ちょっとしたきっかけで甦る過去のワン・シーン。

木枯に追越されたる駝鳥かな   後藤一之

あずさ:駝鳥。飛べない鳥である。飛べないとはいえ、駝鳥は太い足を持っていてバタバタと走るのである。だから飛べなくても別に何も困らない。でも木枯らしに追い越されてしまったときなどは、ふと、空が恋しくなるんだよね。

行方不明の鍵が集まる十二月   桜吹雪

あずさ:何も開けることのできない鍵ぐらい空しいものはないだろう。鍵は鍵穴を求めて迷子になっているのである。

尽日はカ行のなかに居ります   山本一郎

作者/一郎:私、最近ずっとカ行という迷路の中にいます。で、この句を最後に、俳句も作っていません。困った。

指たてて寒きかなたへ歩み寄る   朱夏 

あずさ:レオナルド・ダ・ヴィンチと(確か)ラファエロが指を立てて歩いている有名な絵があった(※名称失念中)。「寒きかなた」というのは現代の「知」の象徴だったりなんかして。

弛緩する金魚の海に監視員   杉山薫

あずさ:金魚の海って、海に金魚がいるのではなく、金魚が海のごとくいるのだろうか。と、思ったら怖くなった。金魚の海が弛緩するとはいかなることか。ハリのない金魚を思い浮かべるともっと怖い。監視員は見たくないものを無理矢理見せられているのか? だとすると「時計仕掛けのオレンジ」並に怖い。

白粥の底の関東ローム層   千野 帽子

作者/帽子:青山俳句工場第2回合宿@群馬・鬼石町で出した句の「…の底の関東…」の上と下を改作。のせいか合宿参加者の点はもらえなかった(合宿でも低い点だったけど)。中村さんの特選と「つっこみ句会」でのぴえたさんの「選句できるなら特選にいただきたい」発言で救われました(第18回選句結果参照)。多謝。

紅葉山体操服の子の入りぬ   朝比古

斗士:互いの色が際立つ。
あずさ:時節柄、この句も神隠しのような。。。

告白のこんなに魚臭いとは   宮崎斗士

あずさ:魚臭い告白を聞いたことなんかないのに、納得させられてしまったのはなぜだろう?
作者/斗士:相手にもその魚臭さを感じてもらえたらOK!

魔はいつも右からさして芒ばかり   千野 帽子

あずさ:右からさされる人と、左からさされる人がいたりするのかも。
作者/帽子:第20回選句結果にも書いたとおり、これは「青山俳句工場」本誌句会とうっかりダブって出してしまった句で、この手のミスはこれで2度目。以後気をつけます。岡村さんごめんなさい。

白日のもとで吉野を水に溶く   中村安伸

あずさ:吉野にはやましいことはないっ!

眠くなり茶の花に帰りたくなる   超走

あずさ:眠くなると帰りたくなる。茶の花のような人が待っている場所へ、かも。

鱸一頭やがて夜さえ支配する   鉄火

作者/鉄火:大仰な句をつくると後で恥ずかしくなるという句の一つ。

極道の小指遠くで潮騒す   凌

あずさ:微妙な音がしそうな気がする。

トランポリン児消ゆ 夏雲に拉致容疑   鈴木啓造

斗士:時事俳句になってしまったね。。
あずさ:現実の事件は陰惨なものばかりですね。今でも雲を見上げてわが子はどこにいるかと心を痛めている方がいらっしゃる。犯人は夏雲などではなく、37歳無職マザコン男性だったりするわけで。。。遠野物語にも、行方不明になった少女の後の姿に偶然出会うなどというのが出てきますが、神隠しって、要するに誘拐事件なんですよね。子供を失った人たちが、自らを慰めるために美しいお話しをつくってきたのかもしれません。いなくなってしまった少女が、どこかの国でお姫さまになっていたりすることは、まずあり得ないわけで。。。

指尺でくるぶし発ちぬねじり花   またたぶ

あずさ:ねじり花はピンクの可憐な花で実際に花弁がねじれている。<指尺でくるぶし発ちぬ>とはいかなることか。服の裾にひっかかったねじり花が<指尺>のようにその茎を撓ませ、人の歩み過ぎるとともに再び頭をもたげることを<くるぶち発ちぬ>と言ったのだろうか。難しい一句。

コスモスを考えている栄養士   宮崎斗士

あずさ:コスモスの何をではなく、ずばり<コスモスを>なんだよね。この不思議はどこからくるのだろう。下世話に考えれば源氏名コスモスというのもありなのかもしれないが、コスモ=宇宙に繋がっているような気さえする。この<コスモス>は動かないんだろうな。
作者/斗士:栄養士ってご飯食べてるとき、いろいろ考えながら食べてるんだろうな。「おいしい!」って素直に思えなかったりして。。ストレスたまりそうだ。

夜に去ぬ父は蓬の匂いがした   山本一郎

作者/一郎:この句、意味的にどこで切るか迷いますが、「夜に去ぬ父」のつもりで書きました。結局父は去ぬしかないのだ。

この指に止まれば魅惑する蜻蛉   城名景琳

あずさ:蜻蛉が指先に止まる。大型動物であるヒトを小さな昆虫が恐れないでくれたということにヒトは魅惑されるのだろう。一瞬の夢のような光景。

怪獣図鑑から海が漏れている   千野帽子

斗士:ウルトラマンに出てきた「ガマクジラ」を思い起こす。
作者/帽子:チノボー選の超特選句「斜塔あり金魚のなかの海晴れて」と同じ「海」の兼題(第16回選句結果参照)なので、ここにあると比べられて恥ずかしいのですが、こんな出来心でできてしまった句でも、杉山薫さんの特選と、「つっこみ句会」での杉山さんや満月さんのコメントで救われるものなのですね。ありがとうございます。

にょろにょろと指伸びている晩夏の湯   満月

斗士:「にょろにょろ」と「晩夏」との取り合わせが見事です。
作者/満月:鉄火さん、特選ありがとうございます。「にょろにょろ」に違和感、開放感、実感?等々いろいろなご感想をいただきました。オノマトペは好きなのですが、普通の使い方ではあまりにも安易なのですごく考えます。ま、この句についてはこの程度なんですが。「晩夏の湯」に対しての疑問が凌さんより呈されていましたね。あずささんにフォローしていただきましたが、極暑と対決?する緊張がなくなってどっと間延びしたりほっとしたりしている時季。そういうときの入浴の、やっとゆっくり浸っていられるような感じが出ないかなあと。もちろん風呂でなくてもいいんですが。にょろにょろは指が指として意識を取り戻すような。

天高し雲の上にも嘘ありや   柚月まな

あずさ:人間ならではの誤解かもしれない。

目障りな柩だ白く塗ってある   凌

あずさ:ところどころペンキがだまになったように塗ってある柩。ディヴィーヌ(=ジャン・ジュネ「花のノートルダム」の主人公のおかま)の柩かも。

土用波小指は二本とも箱に   岡田知昭

斗士:この「土用波」新鮮だった。

山眠る少し僕の話をしよう   小島けいじ

斗士:松鶴家千とせ。

雑誌社へ秋の牛乳届きけり   足立隆

あずさ:最近、当家は牛乳をとりはじめた。瓶牛乳というのがなかなか新鮮である。雑誌社へ届く牛乳はきっと大きな瓶のやつに違いない。

回転扉に重なる指紋終戦日   田島 健一

あずさ:終戦日そのものにも指紋が付着して、終戦日の意味が少しずつ変化してゆく。テレビドラマの世界では、バブルの意味もすでに変容しているような気がするし。。。

折鶴のほどかれてゆく深夜かな   凌

斗士:「深夜」ここに季節感が欲しかった。

木枯しや動機不純は直りません   鉄火

斗士:この心情わかる!
作者/鉄火:冬の寒さというのは何かしら純化作用があるような気がする。それを言いたくて、あえて逆説的な言い回しをしてみました。

十三夜土へ環らぬ罠ひとつ   朝比古

逆選:安伸

斗士:「十三夜」がうまい! ならではの哀感。

色鳥やアンドロイドと迎ふ朝   しんく

逆選:ぴえた

ぴえた:2番目に好きな作品です。恋人はいるけれど、恋人ロボットもほしい(^_^;) 恋人より恋人ロボットを好きになるかも知れない(^_^;)

台風に死者数多爪切らなくちゃ   田島 健一

逆選:空子

空子:陽水の「傘がない」のパロディーか? 品がない。 嫌い!
あずさ:切り爪と曇って似ている。濁っているからか?

リンゴ切る母の背中が透きとおる   山本一郎

逆選:凌

凌: 逆選にしたい句は何句かあった中で、あえてこの句を選んだのは、ふっと共感してしまう言葉の肌触りが気になって。しかし抒情の質は平板にすぎると思う。
作者/一郎:「りんごに必然性がない」「さだまさしだ」「透きとおるはお手軽詩情醸成語」など散々切られた句。なんやかんや言われても、この句、今でもけっこう好き。

白衣着て案山子診にいく昼休   城名景琳

逆選:Yuno

Yuno:2番目に好きな句。
あずさ:たとえ相手が案山子でもちゃんと白衣を着るのがプロさ。

秋の蚊は足の人差し指刺せり   朝比古

逆選:満月

満月:あまりにもちまちましていてがっかりする。おまけにむずむずいらいらしてくる。

縦糸と横糸のある紅葉山   中村安伸

逆選:隆

隆:平凡な所、作者は発見と思ったのでしょうが、「秋の夕日に照る山もみじ…」の方が素敵です。特にこれのみ逆選というわけではないのですが、残念ながら目につきました。

もうすっかりクリスマス棄ててきてね   杉山薫

逆選:あずさ

あずさ:どうしてもゴミ棄てを思ってしまう。夫にゴミを棄てさせるのは一種フェミニズムの象徴のようでもあるが、役割分担って、そんな単純なことなんだろうか。(と、句の感想としては余計なことかもしれないが。。。)もっとも、この句の場合は、<棄て>るはやはりしがらみを棄てることなんだと思う。このしがらみ、クリスマスを日本のと捉えると、家庭のしがらみを棄ててわたしに会いに来て。西洋のと捉えると世間のしがらみを棄てて家に帰ってきて。になるような気がする。神様がいないって、こわいことなのね。

悪い冗談としての飛び込み用プール   山口あずさ

逆選:一郎

一郎:わけがわからないので。
作者/あずさ:中央線は年がら年中人身事故で止まっている。飛び込みと言われると即「自殺」。プールもけっこうやばいものに見えてきたりなんかして。。。